幸せを求める姿を手本に

おままごとをしていた子どの会話です。お父さん役の子が仕事から帰って来て怒鳴ります。
「なんだ、ちっともテーブルが片付いてないじゃないか!」
すると、お料理をしていたお母さん役の子は、手を止めず、振り向きもせずに、
「あら、ごめんなさ~い。」
お父さんの役の子が何を言っても、顔も見ずに、
「あら、ごめんなさ~い。」
延々と、顔を見ない「あら、ごめんなさ~い」の会話が続いていました。
見ていた私は面白かったのですが、おそらく親が見たら、随分と居心地の悪い思いをしたことでしょう。子どもが真似をすることは必ずしも良いことばかりではありません。大人にとって都合の悪いことにも及びます。
子どもは手本となる大人の動作を真似するだけではありません。偏見や差別心、価値観などもそのまま真似します。子どもに悪意はありません。しかし私たちが何気なく繰り返している言葉や所作に潜むものも「忠実に」真似します。それは時に、大人の醜い世界や取り繕い、誤魔化しや冷酷さを、お返しのように大人に見せつけます。
子どもが大人の全てを真似すると言うと、何だか恐ろしく感じられるかもしれません。その感覚は、手本となることへ意識を向けるきっかけとして大事です。
完璧な人間はいません。私自身もダメなところが多い人間として、大人のダメなところも含めて真似して自分を作り上げてきました。それで不幸なのかというと、決してそうではありません。途方にくれたり、自分自身に自信が持てない中でも、よりよく生きていこうとしている大人の姿を、子どもは見ています。苦手なことにイヤイヤ取り組みながら、その中に楽しみを見つけようと工夫する姿を、子どもは見ています。がっかりした中から、気持ちを奮い立たせる様を、子どもは見ています。自分で楽しみを見つけたり生み出していく力は、子どもの人生を刺激し、豊かにすると信じています。
大人が子どもに「幸せになってほしい」と願うのは当然です。それならば、私たち自身が「子どもに幸せであってほしい」と願っている理想の姿に近づくように、自分自身を幸せにするように、自分自身を振り返る時をもつことはとても大事なのではないかと思います。
子どもにとって大事な手本は、「よくできた大人」ではなく、「幸せを感じさせる大人」です。

2020年01月21日