言葉という生きていく力

子育ての目的は、子どもが生きる力をつけることです。親の保護から巣立って、自分で生活の糧を得て自立していく力を持つことです。
自立とは、自分で身の回りのことができて、経済的に自活できることを指すことが多いのです。しかし一人で生活できるということだけでは、自立は孤立と化してしまします。
人間の生きる力というのは、社会の営みの中で、一人で何でもできることではなく、多くの人間と関わって生きるということです。それは単純に、友人を持つとか、家族を持つことを意味しません。友人というカテゴリーが必ずしも「親愛」を保障するものではありません。家庭が「裁き」の場となることがあります。いくらでも孤立の可能性のある世界の中で、コミュニケーションし、時には決断して「頼ったり」、時には譲って「頼られたり」しながら、赦したり赦されたり、許したり許されたりしながら、周りの人々との関係を平和というバランスをとりながら生きていくことへの挑戦ができるのが、人間の自立です。
気持ちよく人と生きていこうと思うならば、自己を表現する力と、他者を理解するための解析力は欠かせません。その時に、現在のところ言葉以上に明晰に自己を伝え、他者を解析するためのツールは開発されていません。表現の可能性は様々あります。図や表、イラストもあります。しかし今のところ、それらの解釈にも言葉が使われます。表現と意味を結び付けるために言葉が必要です。つまり、言葉に代わり得る解析力を持ったツールが見当たらないのです。コミュニケーションのテクノロジーは、言葉化を容易にするためのツールの開発と、言葉の活躍場面を拡大する方向に向かっています。
気持ち良く生きていくために、言葉の力は欠かせません。その力を磨くことは、人が生きていくために欠かせない武器を磨くということです。言葉は生まれつき持っている才能ではなく、後天的に身に着けていくものです。磨けば研ぎ澄まされます。置いておけば錆びつきます。
私は子どもたちと話す時、良く正確な言葉を使うことを促します。「壊れた」のではなく、「壊した」とか、「鉛筆ちょうだい」ではなく「鉛筆を貸してください」とか、言い直させて、子どもにとっては面倒な大人をやっています。それは、子どもたちが将来、自分たちの人生を、自分自身が主人公となって、預けることをせずに歩むということが、自分の言葉を駆使することと深く関わっていると考えるからです。心で思っているだけでは得られません。与えられません。自分も相手も大切にして生きていくためにも、言葉の力を磨くことを大事にしたいからです。

2020年01月28日