疲れる保育

玉川大学准教授・東一の江幼稚園園長の田澤里喜先生の新聞連載(日本教育新聞2020年3月16日)を要約して紹介します。
田澤先生が幼稚園でクラス担任をしていた時に、子どもを多面的に見るという目的で、同じ4歳児のクラス担任を一日だけ入れ替えるというクラス交換が実施されました。一日の保育が終わり、自分の担任するクラスの子どもたちのことを入れ替わった先輩保育者に尋ねたところ、「田澤先生のクラスで保育をするのは疲れる」と言われて、驚いたそうです。
どういうことかというと、田澤先生のクラスの子どもたちは、小さなことでも先生に確認して来たり、自分たちで解決しようとしないことが多く、「先生、○○つかってもいい?」「先生、A君たちがケンカしてる」と聞いてくるというのです。こうした子どもたちの様子を「疲れる」という表現で先輩保育者は田澤先生に注意してくれたのだそうです。
田澤先生はご自分の保育を振り返って、普段子どもに指示をすることが多く、子どもたちの疑問に全て答えようとしていたことに気がつきました。それは子どもたち同士で解決すべきところにまで及んでいたと感じられました。そのために、田澤先生は確かに「疲れる保育」をしていました。保育者に余裕がなくなり、視野が狭くなり、先を考えて動けず、結果として保育の質が低下していました。保育者が疲れるだけでなく、指示をしたり、答えたりすることが多いために、子どもたちが自分自身で考える機会を奪っていたのだと気がつきました。
一方、先輩保育者のクラスでは、子どもたちが担任に確認することもなく、クラスにあるものを自由に使い、ケンカがあっても自分たちで解決しようとしていました。子どもたちが自分たちの力で生活をしようとしているので、「疲れる保育」になっていなかったのです。
教育とは、人の言うとおりにできるようにすることが主目的ではありません。自分で考えること、分からなかったり、困ったりしたら他者と協力できること、自分たちの力で歩む力を育むことです。

発達の主役は子ども自身です。その上で、どのような助けが必要とされているのかを考えています。幼稚園で子どもたちに応答する時、教師が子どもに代わって疑問や活動の主役になってはいけません。子ども自身の興味や関心に、自分のこととして取り組むように促し、励ますところに幼児教育の実践があります。それは主役を元気づける応援に似ています。主役に代わって舞台に上がってはいけないのです。

2020年03月19日