子どものつまずきと気遣い

幼いころに妹と遊んだタクシーごっこの記憶があります。当時中野区に住んでいて、タクシー運転手役の私が、「上野動物園ですか?中野動物園ですか?」と聞くと、お客さんの妹が「下の動物園でお願いします」と答えました。それを聞いていた母親が笑い出したのを覚えています。
これは小学生を対象に調べたデータですが、子どもたちは学習の際に、大人から見ると馬鹿馬鹿しいレベルでつまずいています。ある本で「国道って、道のこと?」と聞いている子を見て唖然としたと書いていました。考えてみると、普段子どもは国道という言葉を使いません。「国の道と書いているからわかるだろう」と思われるかもしれませんが、知らない子どもにとっては「北海道」のような地名のように思えるかもしれません。
小学生を調べると、子どもたちはこの程度のことでつまずいてしまうことが過半数であることが分かっています。これは、「ここを見ればわかる」と指し示すだけで解決します。ところが、それができないということが問題です。自由に「国道って、道のこと?」と発言したら、「空気の読めない子」と疑われます。子どもたちは教師の評価はさほど気にしませんが、「空気の読めない子」と同級生に思われることを恐れます。そのため、つまずいた子はそのことを隠して、学習を放棄します。授業開始5分で過半数の子が学習を放棄している可能性があります。これは大変な損失です。
一方で、最近の子どもたちの学習環境は、「教師からしか学べない」というものではありません。塾、予備校、通信教材、スマホアプリが沢山あります。また、保護者が高学歴になり、家庭学習も熱心です。魅力的な教材や学習環境の下で、どんどんと知識を豊かにしています。
その結果、クラスの何割かの子どもたちは、授業を受ける前に学習済みという状況が生まれます。そういった子は、授業を通して教師が何を言わせたいか、何をさせたいかを前もって分かっています。そして、心優しい子たちはそれを授業の最初に言うと先生が困ってしまうから、分からないふりをして、無駄な時間に付き合ってくれるのです。教師の方が気遣われているのです。
「教育は経済ではない」と言われるのも分かります。確かに自分たちの将来の金銭的投資として子どもの教育を語るのは行き過ぎでしょう。しかし子どもたちの「時間」の損失を、大人はどう考えているでしょうか。「若いからまだまだ大丈夫」、という感性の根拠は何に基づいているのでしょうか。そこを考え最善を探るのが教育者の経済感覚です。私たちは永遠の存在ではありません。時間は、世界中の富と引き換えにしても、1秒たりとも取り返せないのです。

2020年03月26日