生活者としての子どもを信じて

教育は誰かの言う通りに実行できる人間を製造することが目的ではありません。自分自身で考えて、困ったり、悩んだりする中で人と協力し、行動できる人を育むことです。
子どもたちに「丁寧で、手厚い」保育をしている幼稚園は、気が付くと先生が指示を出し、答えを教えることで、子ども自身が考えなくなり、自分から行動しなくなることが起こります。結果として、先生も疲れてしまいます。こうしたことにならないためにどうしたらいいのでしょうか。
大前提は、「子どもを信じる」ことです。指示を出し、答えを教えるのは、「子どもだからできないだろう」という思いがあるからです。指示を出す方が子どもには生活しやすい安全で過ごしやすい環境を作ることになる思うのは、勘違いです。それではいつまでたっても「生活者」として子どもは育たず、安心と安全は常に大人にくっついている時だけということになってしまいます。
経験のないことで最初から100点満点の結果を出せるはずはありません。しかし、子どもは自分で生活しようとしています。できないことを減点的に問題視するのではなく、できるように意欲を認め、できたことを認め、一緒に喜ぶだけで子どもの生活者としての主体性は育ちます。そのことを大人が信じられるかどうかが、大前提です。
その上で、大人の役割は環境の整え方の工夫です。子どもだけで使うのが危険と思われる物は許可なく取り出せないように収納しておく。一方、子どもの手の届くところには自由に使えるように物を配置するといったことです。
新型コロナウイルス感染症の感染対策として出された緊急事態宣言の下で、幼稚園も休園を余儀なくされました。6月に再開する時には、様々な感染予防の準備をし、子どもたちへ伝える感染予防のための指示を先生たちと確認しました。それは子どもたちを安全に迎えるための当然のことです。
しかし、ある幼稚園取り組みを聞いて、ハッとさせられました。それは中国の幼稚園再開についての報道でした。再開した幼稚園では子どもたちを検温し、手指消毒を行って園内に子どもたちを迎えていました。それは私たちの幼稚園と同じです。ところが、教室で一通りの朝の準備が終わると、先生が子どもたちに語りかけたのです。新型コロナウイルス感染症の予防のために「あなたたちは何をしたらいいと思う?」、「何があればいいと思う?」、「どうしたら皆が感染予防のルールを守れる?」
この幼稚園の再開後最初の保育は、幼稚園という環境の生活者としての子どもたちに、自分たちの生活の場所を守ることを考えさせることでした。実際に必要なことは前もって十分に先生たちは準備しています。しかし、生活者としての子どもたちが、自分たちで幼稚園の新しい生活習慣を作り上げることを期待したのです。
幼稚園の子どもたちに「新型コロナウイルス感染症にかからないためにどうしたらいい?」と問えば、「手洗い!」、「消毒!」、「うがい!」といったことを元気に答えます。ただ、その後に「だから、~~しましょうね」と指示するのと、それを実現していく生活者として実現のために「どうしたらいいか」を問い、考えることを育むことは、本質的に全く別の育ちをもたらすのではないでしょうか。ほんのちょっとの質問の違いが重要なのではないでしょうか。先生が幼稚園において「守る者ー守られる者」の関係を保ちながら、「共に生きる生活者」として子どもを迎える姿に教えられました。

2020年08月12日