「ウソ」を考える

人間はだれでもウソをつきます。一つは自分自身を守るために、もう一つは相手を守るためです。例えば、自分のみじめなところを知られたくないので言い繕うことをします。また、そのまま伝えると相手を傷つけたり不愉快にするという時に言い繕います。私たちは普段、相手との関係を意識して言い方や内容を変えています。時には正反対のことを伝えたりします。つまりウソをつくのです。

言葉を相手との幸せな関係のために使うときにもウソは発生します。自分のためであれ、相手のためであれ、その後の関係を良いものにしたいという欲求として、悪意があって言うものではないですから、潔癖にウソを否定することは現実的ではないのではないでしょうか。

多くの場合、頭ごなしに「ウソはダメ!」、「違うでしょ!」と親の方は感情的になって、子どもなりの幸せへの気遣いを無視して自尊心を傷つけるような叱り方をしてしまいます。親として、子どもを嘘つきにしたくないという思いはとても良く分かるのですが、気遣いと自尊心を無視した叱り方を続けると、逆に子どもはウソが上手になっていきます。叱られた子は、次はばれないようなウソ、上手なウソをつくために努力を始めるのです。

繰り返しますが、子どもがウソをつく一番初めの理由は、自尊心が傷ついて自分が惨めにならないように、相手を傷つけて悲しませないためにという、どちらかというと美しい気持ちから始まっています。その点を受け入れてほしいと思います。

子どものウソは大人にはすぐに見分けられるものです。大切なのはウソだとわかっているということをどう子どもに伝えるかです。頭ごなしに感情をぶつけて叱りつけると会話が終わってしまいます。ウソへの対処には、できるだけ穏やかにウソとわかっていることを伝えて、さらに会話を継続させるようにすることが求められます。ウソを言われてむしろ悲しいと感じられたなら、そのことをできるだけ穏やかに伝えてください。繰り返しますが、幼い子は幸せな関係を成立させようとしてウソをついてしまっています。大人はそういった子どもの気持ちを受け入れていることをできるだけ穏やかに伝えるように努力してください。そうすれば、子どもは「悪意あるウソつき」になったりはしません。

2018年10月02日