自分で判断させるために

乳幼児期の子どもたちは、「拾っちゃダメ」と言っても地面に落ちているものを拾おうとしたり、「来ちゃダメ」と言っても近づいて来たりします。人間というのは、幼いころは指示を聞きません。

「指示待ち人間」という言葉が流行りました。しかし、生まれつき誰かの指示がないと決断・行動ができない「指示待ち」の人はいません。育っていく中で、何年もかけて「指示待ち」に育てられてしまうのです。人は勝手に「指示待ち人間」になるのではありません。

子どもが「指示待ち」に育っていく原因は、大人の「命令」の多さです。もちろん大人は子どもを従えようと考えているわけではありません。危ない所から遠ざけるために、集団から落ちこぼれにしないように、周りの空気から外れないように、ちゃんと先生の言うことを聞くように、等々の心配から、アドバイスのつもりで「命令」してしまいます。

「子どもはたくさんの友だちを持ち、元気に交流すべき」といった「こうあるべき」という気持ちが強いと、特に「命令」に傾きます。「3歳だから出来るべき」、「5歳だからやめるべき」といった思いから発せられる大人の言葉は子どもには強い圧力です。

命令を発する大人には「自分の期待通りではない」という思いが隠れています。そのことを子どもは感じ取って、顔色を伺うようになります。そうして、自分から興味を持ったものに近づくことをしなくなります。親からの指示待ちが常態化します。

大人の命令には、優しい言葉がついています。命じた大人は、自分が「優しい言葉」をかけたことを覚えています。ですから、命令しているつもりはありません。しかし、子どもに届くのは「命令」の方です。

子どもが「自律した人」、「自分自身で判断できる人」へと育つために、特に私たちのような教師は「命令」を自分が発していることに敏感でありたいと思います。

大人から見て「上手くいっていない状態」を「おかしい」とか「悪いこと」ととらえるのをやめるようにしましょう。子どもにとっては、ただ単に「まだ準備が出来ていない」だけかもしれません。今は友だちと遊ぶより、一人で遊ぶ方を「選んでいる」だけかもしれません。子どもは、本来、人の指示を聞きません。幼くても幼いなりに「こうやりたい」、「こう生きたい」という思いがあります。それも、子ども自身の育ちの力なのです。

以前、園長になりたての頃、幼稚園で子どもと朝の挨拶をするときに「おはようの挨拶をしましょう」と声をかけていました。「挨拶をさせるべき」と考えていたからです。しかし今は「おはようの挨拶をしようか?」、あるいは「先生のおはようの挨拶を聞いてくれる?」と言葉を変え、挨拶をする・しないの判断を委ねるようにしています。私の方は必ず挨拶をします。その時に、挨拶をしてくれなくても全く問題とは思っていません。挨拶をする、しないを状況から子どもが判断し、決められるように育つことが大事だからです。

命令せずにすませるためには、命令しなければならない状況になる前に、子どもに何をすべきかの情報を与えておく必要があります。情報を与えておけば、子どもの方が納得すれば自分から気づき、動けるようになります。挨拶についても、「園長先生は皆に挨拶をしてもらうとうれしいと感じる」ことを話します。そうすると、必ず「挨拶ごっこ」を始める子どもたちが出てきます。そうして、挨拶を自分からすべき時を判断して、挨拶をするようになるのです。

挨拶一つであっても、「子どものタイミング」を信じて任せると、子どもは自分で判断して行うことができるようになります。遠くから私を見つけて「園長先生、おはよう」と挨拶をしてくれたり、「バイバーイ」と大きく手を振ってくれることがあります。とてもうれしいことです。

2020年09月14日