ちょっとだけ、前進

褒める子育てについて記しましたが、大人も生身の人間ですから完璧にすることはできません。イライラしたり、怒ったりすることがあります。

人間には感情がありますし、体力には限界があります。ひたすら我慢するとか、無限に褒め言葉が湧いてくるとかは、絶対にありえません。

しかし、「ちょとだけ」ならば、以前の自分よりも、ましな自分に出会えるかもしれません。思わず大きな声で怒ってしまうことも、ずっと同じ状態が続くと大人も子どもも辛くなってしまいます。だから、以前の自分よりも「半歩前進」くらいの歩幅を努力目標にするのが良いと思います。

あくまで努力目標です。義務にしたら、また辛くなってしまいます。劇的改善などあり得ません。ほんのちょっとずつです。ほんのちょっとずつの繰り返しで、いつの間にかそれ以上のことは「しょうがない」と思えるようになります。

これはつまり、今の「子ども」と「自分」を受け入れるようになるということです。イライラや、怒りも、実際子どものことをとても大事に思っているからこそ湧き上がってきます。そんな自分に自己嫌悪を感じてしまうのも、子どもを思っているからこそです。一生懸命、子どもと向き合っている証拠です。

私たちは完璧にはなれません。ちょっとだけ得意なこともあるし、苦手なこともあって、そんなでこぼこした人格で「個性」を育んできました。どんな人にも、どんなに努力してもできない事があります。

大人にも子どもにも、単純に努力で乗り越えられないことはあります。体力にも気力にも、財力にも限界があります。それは個性です。子どもへの愛情が無限に湧くというのは幻想です。そんな存在が一生懸命子育てをしているから、尊いのです。

自分は親として足りない、ダメだと思う時は、むしろ親として頑張りすぎるくらい頑張っている時です。そんな時必要なのは、休息です。

家事や育児など、「この仕事を果たしてからでないと、自分のことはできない」と思っておられる方もいると思います。しかし、そんな思いに追い詰められそうなときに、むしろ自分のために休み、自分のやりたいことをやってしまうほうが、やるべきと思っていることも上手くいきます。

私も反省するところですが、世の中の教育や育児についての教えは、過剰な理想像に偏って見えると思います。そういうものは、「そういうやりかたもあるか」、「一度試してみるか」程度に受け止めて欲しいと思います。

子どもを育てるというのは、幻想ではありません。きれいごとでもありません。気に食わない子育て論は、捨ててしまってください。子育て論は、人類全員が語ることができますが、所詮、私論であって、万能の論理などありません。

子育て論に傷つけられたら、おいしいものを食べて、たっぷり眠って、頑張っている自分の心と体に栄養を蓄えてください。家族が元気に朝目覚められたら、それで十分ではないかと思います。

2020年10月22日