違いは受け入れる

子どもたちは、「同じこと」が大好きです。これは人間の本能的な感性なのではないかと思います。
お弁当の時、「おにぎりのひとー!」と聞きます。そうすると、その日のお弁当がおにぎりだった子たちが、「わたしも!」、「ぼくも!」と競って答えます。あるいは、仲の良いお友だちや教師のお弁当を見て、自分と同じものが入っているととてもうれしそうにします。
ブロックで車を作る子がいると、自分も車を作り出します。先生の質問に誰かが答えると、次々と同じ答えが続きます。
子どもたちは、違いを受け入れることについて大人よりもハードルが低いと感じるのは、違いを認識していないからです。違いに気づく成長を得ると、途端に落ち着かなくなります。おそらく、人間は同じであることに無意識に安心感を覚えるのだろうと思います。
一方でこれから子どもたちは、多様な価値観や人種、文化との出会いから学び、成長する力が求められる世界を生きていきます。そのような力が育つための鍵は、「理解」より先に「受け入れる」ことです。自分には理解できないけれども、そういう生き方、考え方、やり方があることを受け入れることから始めるのです。
漫画家・タレントの星野ルネさんは、日本人のお父さんとアフリカのカメルーンにある村の村長の娘であるお母さんとの間に生まれました。その方の講演の記事を読みました。
『子どもの頃に家族で出掛けた時の話です。僕たちの車は山道を走っていました。僕は車の中でバナナを食べていて、食べ終わった時、お母さんに「この皮、どうする?」と聞いたら、「窓から捨てていいわよ」って言うんです。そしたらお父さんが慌てて、「バナナの皮を窓から捨てたらダメだよ」って言うんです。・・・お父さんの主張は皆さん分かると思います。日本人として当たり前の主張です。一方、アフリカのカメルーン出身のお母さんの主張は「バナナの皮はゴミではない」です。「バナナの皮を森に投げたら小さな虫や動物が食べる。これを燃やすほうがおかしいでしょう」と言うんです。』
『東京のある高校でのお話です。ある日、女の子のお母さんがお弁当にお箸を入れるのを忘れてしまいました。女の子は「もう最悪。今日ご飯食べられな~い」と言ってました。そこはインターナショナルな学校で、その中にアフリカのザンビア出身の子がいました。ザンビアには手で食べる地方もあって、彼女はお弁当を手で食べていました。その子が「お箸忘れたんだったら私が手で食べる方法を教えてあげるよ」と言ったんです。お箸を忘れた子はその日、ザンビアスタイルでお弁当を食べたのです。それがすごく楽しくて、家に帰ってお母さんに伝えました。「お箸を忘れた最悪な1日のはずが、ザンビアの子のおかげでいつもと違った感じでおいしく食べられた」って。その日は家庭でもザンビアスタイルでご飯を食べたそうです。日本人の価値観しか知らないとその日は「最悪の日」です。でも違う風土から来た人が違うアイデアを投げ掛けてくることでそれが「最高の日」に変わることもあるんですね。』
(日本講演新聞 2842号、2844号 星野ルネ「多様性って何なんだ!」より)
多様性のある世界は神様が望まれて造られた世界です。そこでは、「理解」よりも「受け入れる」ことがより大切です。別のやり方や考え方があることを「受け入れ」、そして一緒に新しいもの得るのです。

「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」(聖書 コロサイの信徒への手紙3章9~10節)

2020年10月26日