愛着―愛され、愛する関係―

子どもの中には、母親以外の抱っこを嫌がる「人見知り」な子がいます。あるいは、母親の足にしがみついてなかなか離れないということが続く子もいます。発表会などで子どもが、家でやる気を見せていても、実際にその場で動けなくなることはよくあることです。決して特別なことではありません。

なかなか離れようとしない子どもは叱らずに、安心させることを第一に考えるとよいでしょう。「親は子どもの安全基地」と言われます。無理に押し出さずに、子どもの安全基地になってあげるだけで十分です。

今は、安全基地の中で周りを伺っている子も、やがて自分から少しずつ安全基地の外へ出ていきます。そして、また戻り、安心という力を蓄えてまた出発します。少しずつ安全基地からより遠くへ、長い時間離れられるようになります。心構えとしては「他の子と比べて、焦らない」ということです。子どもの成長のペースは一律ではありません。自分に合ったペースで成長します。

安全基地というのは、未開の地に冒険に出発する探検家、あるいは未踏峰の頂に挑戦する登山家にとってのベースキャンプです。ベースキャンプから測ってどれぐらいのところに自分はいるのか。どの方向に向かっているのか。道に迷った時にベースキャンプが自分がどこにいるのかを示す基点になります。登山家も、山頂を目指すことを一旦断念しても、ベースキャンプがしっかりしていれば、再び挑戦するチャンスも訪れるでしょう。

人は関係性を築きたいという欲求があります。それは、「自分を認めて欲しい」というだけでなく、「相手を幸せにしたい」という思いも含みます。その欲求が満たされるためには、「愛されていると感じられる」、「自分で自分を愛する」という2つのことが必要になります。

問題は、親の方は愛していると思っていても、子どもにその愛が伝わっているかどうかです。(親が)愛すること・(親が)伝えること・(子どもが親の愛を)信じられることは、全て違うアクションです。親が心から子どもを愛しているのに、それが伝わっていないのは残念なことです。

伝わらない大きな原因は、子どもをへの声掛けが、子どもの成果を評価するような声掛けに偏ると、「褒められる」という報酬になってしまい「愛している」というメッセージにはなりません。また、子どもが話しているときに子どもの言葉の先回りして、子どもの話しを奪ってしまうと、子どもの中には満たされないものが残ります。

愛していることは、子どもが幼いほど伝わりやすいものです。一方で、幼い子には言葉だけでは伝わりません。そこで抱っこやおんぶといった接触が重要になります。何を言えばよいのか分からなくなったなら、いっそ手を繋いだり、膝に乗せたり、抱っこしたり、おんぶしたりといった接触をして、理由もなく「大好き」と伝える方が幼い子には愛が伝わります。

人には、関係性を持ちたいという欲求があります。それは「愛される」と同時に「愛する」という欲求です。子どもにとっての安全基地となる特別な人との関係は、「愛される」と「愛する」のどちら欲求も満たされることで確かなものになります。そうした特別な関係を「愛着」と言います。

2020年12月07日