自律と自立

日本語で発音するとどちらも「じりつ」なので、ごちゃごちゃになることもある「自律」と「自立」ですが、どう違うのでしょうか。またどう関係しているのでしょうか。

まず、「自律」は、大雑把に言えば「自分で決める」ということです。自分で考え、自分で目標を決め、自分で行動を選択することです。

人間は、生まれながらに「自分で決めたい」という欲求があります。それは基本的な欲求で、これが満たされないと心の健康が脅かされます。「自律」の反対は「他律」とか「制御」とか「統制」というもので、他からの命令や強制によって動くことです。そこには服従か反抗しか選択肢がありません。

「自立」は、経済的あるいは精神的に他に依存しないで生活していることです。ですから、「自立」の反対は「依存」になります。年齢的な成人という意味ではなく、成長という面で見れば、大人であるとは「自立」していることです。

「自律」と「自立」は、まず「自律」から始まります。「自分で決めて、他から支援を受ける」という子どもの育ちのありようは、自立はしていなくて、自律はしているという状態です。子育ての大目標は、子どもを大人へと育てることです。それは自立していくように支援することに他なりません。大事なことは、依存ではなく共生という健全な「自立」した生き方が成立するためには、しっかりとした「自律」の経験が不可欠ということです。

個人差はありますが、自律を妨げられる経験を重ねると、まず人は無気力になります。報酬や罰がなければ行動を起こせなくなります。不安感から負けたり失敗したりすることを極端に恐れ、成果を出せない自分の価値を極めて低く見なします。学生時代だと学業の成績が幸福感と結びついています。

自律の経験の出発点は、子どもの自発的な決心と思いがちですが、乳児期~幼児期の子どもは、基本的に殆どの生活時間を大人の決定の元で生きています。それは子どもたちが安全に成長するために必要なことですが、子どもを支援する側がいつまでも子どもを幼いと決めて、決定権を発揮し続けては、自律の機会がありません。

もう一度言いますが、自律的であろうとすることは人間の欲求です。その欲求は、たとえば食欲が食べないと満たされないように、また満たされなければ健康を損ねてしまうように、満たされなければ何らかの不健康な状態が心や体に起こります。

そこで、子どもの自律を支援する最初の一歩は、子どもをいつまでもコントロール下に置かないと生きていけない弱く信頼できない存在であるという思いから、この子は「できるようになる」という信頼へと、支援者である私たちのマインドを切り替えることです。

子どもへの信頼が、子どもの自律を支え、励まします。ただし注意したいのは、子どもを信頼することと、「自分のことは自分でやりなさい!」と突き放すことは違いますから、そこは注意しましょう。突き放すことにならないように、子どもを見守ることは不可欠です。「すぐにはできなくても、一緒に練習してみよう。きっとあなたは出来るようになると信じてる」と見守るのです。

2020年12月14日