控えめな存在

幼児期になると、子どもたちはあらゆることに疑問を持つようになります。「何?」に始まって、「なぜ?」、「どうして?」「どうやって?」といつも疑問を持っていきます。

こういうときに、大人はついつい答えを教えたくなります。しかし、子どもたちは大人に説明を求めているわけではありません。子どもと一緒なって「本当に不思議だね。どうしてかな?」と同じ疑問を持ってほしいのです。

大人としては、知識を増やしてあげたいと思って説明をはじめても、殆どの場合、子どもの興味は説明の最中に次へと移っています。ですから、長々と説明するよりも、子どもが「なぜ?」と疑問を持った気持ちに共感するだけでよいのです。

もしも、子どもがその後も同じ疑問を持ち続けていたら、その時に図鑑を開いたりして一緒に調べてみます。子どもが何かに疑問を持ったならば、大人は子ども自身が納得する答えを見つけられるように手伝います。疑問を解決するときにも、子ども自身が主役として活動できることが大切です。

疑問を持つということは、主体的に世界に関わっているということです。世界の中に自分がいることを手探りしているようなものです。幼児期の疑問から子どもの自主性は育ち始めます。疑問を持つことで、安全な親元から離れる距離と時間が少しずつ長くなり、自主的に世界に関わりはじめます。

ですから、子どもの疑問を聞いた時は、大人はできるだけ控えめな存在となれると良いのです。疑問への取り組みのために、一緒に調べても、「こっちが正しい」と結論を子どもから取り上げないために、最小限の手伝いに徹します。本当に知りたいことであれば、はじめは調べ方を一緒に繰り返して手伝っていても、そのうち子ども自身のやり方や、「何を使って調べればいいのか」、「どうやって調べればいいのか」を自分に合わせたやり方で進めていきます。

控えめな存在であるために大事なのは、子どもがやがて自分自身でできるように子どもの過ごす空間や時間、遊具や図鑑などの環境を整えることに心を砕くことです。子どもの成長によって子どもの「次の疑問」に備えた環境の組み換えも必要になるでしょう。理想は、最小の手伝いで、子どもが主役になって活動できる環境を作ることです。

そういう意味で、教師の仕事というのは、環境をつくることにあるといっても過言ではないと思います。整理整頓は勿論、足りない材料、道具がないように補充したり、季節の変化や子どもの興味の変化、技術や言葉の発達、活動の進み具合などで入れ替えたりします。

子どもの到達した結論が正しい答えであるのかどうかは、一緒に答え合わせをして確認させれば良いのです。その際は、可能なら専門家に聞くと良いです。専門家というのは喜んで子どもたちの疑問に答えてくれます。専門家の集まる協会や企業などに連絡を取ると丁寧に教えてくれることが多いです。その時に、子どもにはまだ分からない言葉があったときなどに、代わって「それは~ということですか?」と尋ねて、子どもの理解を手伝います。

2020年12月18日