学ぶ―運動と知性によって

「自分が主人公」となって活動する時期である幼児期は、その発露として「様々な動きを身に着けたい」という望みがあり、そのために全力で取り組みます。そして、それと同時に心の中で燃え上がっているのが「知性」への情熱です。

人間の知性を非常に単純に言い表すと、「分ける」ということです。続いて、分けたものを「集める」、分けたものを「較べる」、分けたものを「合わせる」といったことがあります。これらの「分析」「集合」「比較」「対応」という論理的作業から、数学的知性が展開していきます。そして、これらも自発性に支えられて発展していきます。

「様々な動きを身に着けたい」と欲求するときも、子どもは滅茶苦茶に動くのではありません。「知性」に従って動きます。動き方を知るということは知性を用いて「学ぶ」ことに他なりません。子どもが自分の目で見て、動き方を「なるほど」と理解し、「自分でやってみて」、「どうすればうまくできるか」を試行し、ついに「動き方を獲得する」ということは、言い換えれば「学び方」を「学んだ」ということです。「学ぶ力」を育てたということです。だから知性を育てようと思うならば、子どもが自分で「動き方」をよく見て、自分で取り組めるような機会をたくさん与えることが大事です。

しかし、今日では幼児期に単に計算や読み書きができたことを「知性」の成長と思ったり、子どもが自分でできるように「動き方」を教えるかわりに、大人が代わってやってあげたり便利な道具で代替しようとします。しかしその時に「知性」と見えるものの本質は「学び」ではなく「暗記」です。

子どもは「もっと完全に、もっと大きく、もっと早く、もっと強く、もっと美しく動きたい」という心から湧き上がる熱情をもっているのです。そのために、「どうすればいいのか」を注意深い観察と「知性」の法則によって理解しようとしています。この強い望みと力が生き生きと発揮されることに手間をかけることが理にかなっていのではないでしょうか。

2018年10月19日