命と死と

 西荻学園幼稚園はキリスト教会が設立したキリスト教主義の幼稚園です。園長の私は、牧師と園長を兼務しています。今週は牧師としてお二人の方のご葬儀をしました。お二人ともお子さんたちに見守られて息を引き取られました。ご葬儀は、故人へのお子さんたちの感謝の思いで満たされた涙のご葬儀でした。朝、命の輝きにあふれる子どもたちを元気に幼稚園に迎え、その後死者を涙をもって教会から送るというのは牧師と園長を兼務しているからこその経験です。

 人の死は、その人の生を写し出します。牧師として沢山の方の死に立ち会う機会がありました。社会的に大変な成功を収めた人が、「死んだら呼んでください」と言われて、子どもから捨てられて死んでいく様を見ました。亡くなったことを知らせたら、「面倒なので適当にしておいてください」と言われた施設の方のお話も聞いたことがあります。

 「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いたでしょう。だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。」(アメリカ先住民のことば)

 幼稚園の子どもたちはもちろん、保護者の方々も今は若く、老いや死は実感のないものでしょう。しかし、誰にでも衰える時があり、死を迎える時があります。自分のことを委ねなければならない時が来ます。これは私の経験から確信をもって言いますが、その時には、本当の親子の関係が暴露されます。「愛」が言葉だけであったのか、時と身を与え互いに愛してきたのかがあらわれてきます。

 幼稚園に集う子どもたちも保護者の方々も、教職員たちも、「あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送」ることを心から願っています。幼児期に育つ生きる力の根っこが、そんな人生を終わりまで支える根っことなるように、心してまた命の輝きに満ちた子どもたちを迎えたいと思います。

2018年09月08日