選択と指示

「あるレストランに親子が来ました。親は子どもに『何でも好きなものを頼みなさい』と言いました。子どもはメニューをじっくりと見て、エビフライを選びました。すると父親は『ここはハンバーグがおいしい店だからハンバーグにしなさい』と言いました。母親はメニューの中から子どもの好きそうなメニューを勧めてくれました。子どもは『何でもいい』と言いました。」

上記のお話のどこに子どもにとって望ましくないものがあるかは、すぐにお分かりになると思います。はじめに「何でも好きなものを頼みなさい」と子どもの自主性を引き出す選択を与え、子どもはそれに自分の答えを返したのに、結局親の選択と好みを押し付けている点です。子どもの答えは否定されました。これならば最初から「ここはハンバーグがおいしいお店だから、今日はハンバーグを頼もう」と決めればいいのです。自由を与えておいてから、それを取り上げられることは大変に傷つけられることです。このようなことが続けば、子どもは自分で選択することそのものを放棄するでしょう。無意味なことに意義を見いだせないのは当然のことです。

子どもの自己肯定感や主体性を育てるために選択肢を与えた時には、子どもが選んだ答えが親の意に添わなくとも、子どもの選択を否定しないことです。親には子どものためを思う気持ちがあってのことでしょうが、子どもの側からすれば操られ、変えられるように感じるのは当然です。対話は感情的になり子どもの気持ちを萎えさせます。

子どもに対して意見を聞くのであれば、その件に関して命令と指示をやめることです。逆に子どもに指示を与えなければならないときは、「物わかりのいい」親を繕って「あなたの好きにしなさい」と言ってはいけません。どちらも子どもの感情を苛立たせます。子どもに対して親の態度を「選択」と「指示」を区別して一貫させることが自己肯定感と主体性を育てます。

子育て論の中には、「選択」と「指示」のどちらか片方を否定するものもありますが、私には現実的に思えません。「指示」ばかりを与えるのはおかしいことですが、経験の乏しい幼児期の子どもを、予想される危険から遠ざけ行為を戒めるのは、断固とした親の「禁止」という指示です。危険を前にして「ケガするけれど、まだやる?」と選択を与えているようでは困ります。「子どもが選んだことですから」と、他の子を傷つけていいということはありません。「選択」がいいこと、「指示や命令」は悪いことなのではなく、選択と指示の間で親が態度を曖昧にし、子どもの感情を苛立たせてしまうことが問題なのです。苛立ちの中では問題に正しく向かい合うことができません。

幼児期であっても、子どもの経験が増え、知識を増していけば「指示」よって従わせるよりも、「選択」を問うて、徐々に論理的な結論を応答するように子どもを導くことを心がけるとよいでしょう。子どもは大人から意見を求められることで自分の存在意義を感じます。自分の思いや考えを表現することで自信がつきます。自分の意見を聞くために待っている人がいてくれるということは自己肯定感につながります。

2019年02月14日