ルールを守る子、ルールを破る子

ルールに対して子どもには二つの欲求があります。「ルールを守る」と「ルールを破る」です。伝統的に男の子はルールを破る傾向があってルールを教えるのが難しく、女の子はルールを守って集団の調和を守ろうとすると言われています。ただ幼稚園で子どもたちの姿を見ていると、ルールに対する傾向は性別に寄らず、一人の子どもの中で「ルールを守る」と「ルールを破る」ということが欲求によって入れ替わるというのが正確だと思います。
「ルールを守る」という傾向は、集団の秩序や調和に対して子どもが欲求を感じていると理解されがちですが、ルールを通して集団を維持し、集団に奉仕するという意味で「ルールを守る」というのは、かなり高度な社会性と精神性があることです。
子どもは「ルールを守る」ことに非常に執着します。それは社会的動機ではなく個人的欲求からです。この場合、本人も出来ていないのに、お友だち出来ていないことを責めます。きつい言葉でお友だちを注意したり、列を乱す子を押したりするということもあります。列の順番を乱されると不愉快だからルールを守るように要求します。その際、自分も列を離れてしまいます。お片付けの声がかかっているのになかなか片づけない子に、苛立ちを感じるからルールを守るように要求します。その際、自分も片づけをしていません。もう一つは、ルールを守っている「自分を見てほしい」という欲求で、これはアピールです。ルールを守る自分を褒めてほしいという要求です。
一方「ルールを破る」のは、命じられること、口出しや手出しを嫌っているということです。ただ、大人にとっては手を焼くことですが、子どもらしい姿はこちらにあります。遊びの集中を妨げられれば不愉快ですし、自分でやろうという成長欲求を妨げられることも不愉快でしょう。
「ルールを守る」、「ルールを破る」のどちらの傾向に対しても、基本的なアプローチは同じです。手本を示して、努力を誉める。他と比較することをしない。自尊心を傷つけない。ルールを変更しない。特例を作らない。これらの積み重ねです。そこから、本来の社会的意味でルールを守ることへと成長を繋げていきます。
ルールを守るというと、多くの場合「禁止」に服することと理解され、拘束をイメージします。しかし「ルールを守る」とは、「相手に対してわたしは何ができるだろうか」という精神から動くことを選ぶということです。赤信号で止まるのは、止まるという行動を起こすことです。赤信号で止まることで歩行者を守ることを選ぶのです。しかし、多くの場合赤信号で止まることで自分を事故から守ることを選びます。それは実は先に述べた子どものルール感覚と変わりません。社会性が未熟で、結果として不満が付きまといます。まずは大人自身がルールを守るという本当の姿勢を知ることがなければ、子どもにルールを教えることが「不幸」なことになってしまいます。

2019年04月27日