自分をどこかへ預ける

精神科医の香山リカ氏が、若者の変化についてこんなことを語っていました(朝日新聞2017年12月31日)。
診察室を訪れた若者が「つらいんです」と言います。どういう風につらいのですか?と聞くと、「つらいってことです」と答える。そして、「この『感じ』がとれる薬をください」と。手っ取り早く薬だけ欲しがる若者が気になる。そこで香山リカ氏は、「自分の内面を掘り下げ、ことばで表現する力が落ちているように思う」と語ります。大学で学生と接していても、「『私』をどこかに預けている感じがする」とも言います。そして、どうしてそのような若者が見られるようになったのかということについて、「自分の弱さと向き合うのはとても苦しいことだから、でしょうね」と分析していました。
聞いた話で恐縮ですが、現代の若者はほんの数日で江戸時代の人の一生分の情報に触れてしまうそうです。それほどに膨大な情報が溢れています。しかし、一方でその溢れる情報をコピペすることで大学の卒論もできてしまいます。
最近の書籍のタイトルや表紙は、ぞっとするほど同じ体裁の同じような言葉で構成されています。「できる!○○をする3つの方法」といった具合のテンプレート化されたものが増えました。マーケティングに裏付けされた通りの言葉をつなぎ合わせると、なんとなく文章ができてしまいます。
一方で、自分自身と向き合って、不器用であっても自分の感情や状況を自分の言葉で表現することができない若者が存在します。言葉は溢れているのに、唯一の自分、大切な自分を語ることができないで、どこかの誰かに預けてしまう。それは、自分にしかわからない自分自身の気持ちや内面を、誰かが語ってくれるのを待っているのでしょうか?あるいは表現そのものを諦めているのでしょうか。
自分を表現する方法は言葉だけではありません。音楽や映像、劇…様々あります。しかし、やはり人間にとって言葉は特別なツールです。自分を表現して、相手に気持ちを伝える手段をとして言葉を磨くことは、自分自身を愛することです。自分自身を愛することを「どこかへ預けてしまう」ことで、やがて他人や世界への興味すら失ってしまうのではないでしょうか。

2020年01月27日