自分に自信を持つために

日本には「以心伝心」や「察し合う」といった文化があります。それはとても穏やかな良い文化であると思います。しかし、それだけで済まされる時代ではないことは、もう明らかです。しかし職場でも、教育現場でも「空気を読む」、「周りに合わせる」ことが、自己発信の能力よりも人間関係において重視され続けるのは何故でしょうか。
幼稚園教育要領では、幼稚園教育にいて育みたい資質・能力について領域ごとに簡潔にまとめています。その中の「人間関係」は、「他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人と関わる力を養う」と記しています。そして、その後に「言葉」という領域があり、「経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う」と示しています。分けていますが、それは理解のためであって、どちらが重要ということではありません。
「自分を表現し、相手の気持ちを理解する」という子どもの姿を目指すならば、伝え、応答するコミュニケーション力を問うときに「壁」があることに気が付く必要があります。それは英語が話せるとかいうこととは違う、相手を知り、相手に知らせようとする人間の営みの上達に伴う「壁」です。
「以心伝心」や「察し合う」という文化が日本の中で重視されるのは、逆にそれほど要求しなくても育ちやすい環境があるということです。一方の、言葉で明白に伝え合うことに重点を置く文化と交わるためには、意識して練習しなければならないということです。風土と伝統の中で育てられるコミュニケーションと共に、練習することで上達するコミュニケーション力があります。その代表が言葉の技術です。
子どもたちは言葉の発信を好みます。きちんと聞いてくれる練習相手がいればどんどんと言葉の力を上達させていきます。子どもの言葉が変わると、必ず聞く力もついていきます。何よりも目の輝きが変わります。自分を言葉で伝えることで「壁」を克服するごとに、自分という存在に自信を持つのではないかと思います。言葉で伝えてくれるので、大人も子どもの気持ちがわかります。大人の表情を見て、子どもは更にやる気が出ます。
幼児期の子どもの言葉の出るタイミングは大人の都合の通りとはいきません。言葉はあらゆる意味で練習して上達します。迷惑をかけながら上達していきます。
日本には素晴らしい「以心伝心」と「察し合う」という文化があるために、察することが巧みな大人によって、子どもが言葉を発する前に大人が言ってしまったり、言葉を発することを「悪いこと」とされてしまうことが多いのではないかと思います。子どもは、もしかしたら言葉の「壁」の感触に気づくこともできないのではないかと感じてしまうのです。
察すればこそ、幼児期の子どもにはしっかりと過剰なほどに言葉を発することを許してあげたいのです。迷惑をかけてしまうことから子どもの育ちを守るのが、大人の寛容ではないかと思います。

2020年01月29日