子ども語

子どもたちには何語が通じるでしょうか。当然、日本語、と思われるでしょう。違います。日本語に極めて近い、別の「子ども語」です。
これは大人が赤ちゃんに話しかける赤ちゃん語や、何にでも「お」をつけて、「お手て」とか「お顔」とか言う過剰な丁寧語とは違います。
たとえば、子どもと話していて、「ちょっと」とか「もう少し」とかいう言葉が「何か違う」と感じることはないでしょうか。「ちょっとだけだよ」とお菓子を出すと、「全部」食べてしまう。嫌いなニンジンなどを「ちょっとだけ」と食べるよう促すと、ものすごく小さい欠片を食べて、「食べたよ!」と得意げになっていたりします。一番に園庭に飛び出してくたくたになって休んでいた子が、「それじゃお片付けしましょう」と言われると「ちょっとしか遊んでない」、「ぜんぜん遊んでない」と腹を立てます。「もう少し」と約束してから、何十分も砂場を離れないということもあります。「後で」と言って、いつまでたっても妹弟に順番を譲ってくれません。
子どもたちは日本語という言語を駆使して、自分たちの意味や価値の中で生きているのです。「違うことを言っている」と理解して、子どもが知っている意味や言葉に近づく必要があります。ニュアンス程度の理解でいいので、意訳でいいという程度の通訳が必要になります。そのために、普段から子ども同士の会話を聞いてみたり、子どもと話してみて意味のすり合わせをしてみるといいでしょう。
謎の言葉を話しかけられて、一体それは何のことだろう?と曖昧なニコニコ顔で聞きながら、あれでもない、これでもないと子どもの興味や日常の姿を早送りで思い出しながら、記憶をひっくり返して考え込んでしまうことも、楽しいものです。子どもの理解度や興味や関心、話の方向性、たとえ話や言い換え等、メッセージをやり取りしたい子どもに合わせた形のものを考えていると、随分と子どもの育ちや成長に気がつきます。
ここで、「何それ、あり得ない!」となったら、子どもとは話が通じなくなると思ってください。当然、叱っても注意しても聞いてくれなくなります。こちらから近づく心構えが大事です。しかし実際に意味が理解できるかどうかは、運のようなものです。ハラハラの実に楽しいコミュニケーションです。

2020年02月04日