言葉は幸せな関係のためにある

先日行われた9月の父母の会でお話ししたことです。

日本語の言語学者の金田一秀穂先生がご講演の中で、言葉は「正しい言葉があるわけではなく、仲良くなるためにあるんです」とお話ししておられました。そして、「子どもは敬語をつかえなくていい」と言います。

例えば、おばちゃんが子どもに飴をあげました。もらった子は母親に「ありがとうって言いなさい」と言われて、「ありがとう」と言いました。そうしたら、おばちゃんは「いい子ね」とにっこり笑って褒めました。そこでもし、飴をもらった子が「この度は結構なものを頂戴いたしました。まことに恐れ入ります」と言ったら、気持ち悪いですね。もうそれは子どもの言葉ではないのです。おばちゃんと子どもの関係が居心地の悪いものになってしまいます。

そこで金田一先生は、「子どもというのは敬語が使えなくてよい、敬語が使えない子どもがいたら安心してください」と言われるのです。金田一先生は、「言葉というのはあくまでも道具であって、『正しい言葉』に私たちが従わなければいけないわけではない」とも言われました。そして、「敬語というのは一人前にならないと使えない言葉なんです。というか、一人前であることを示す言葉が敬語なんです。ですから子どもは敬語を使っちゃいけないんです。子ども扱いされる存在だから、敬語を使うことは許されないんです。でも、大人になったら一人前であることを示さなきゃいけませんから、必死に敬語を勉強しなければいけないんです。」「使われると気持ち悪い、自然に嫌だなと思う。その嫌だなと思う気持ちを大切にしてほしいんです。」この金田一先生の言われることはとても大切な視点だと思います。

私たちは言葉を使って何をしているのでしょうか。コミュニケーションです。人間同士が「いい関係」を作るため、互いに「仲良く」なるため、互いに「幸せ」になるために言葉という道具を使うのです。正しい言葉を使うことは大切です。しかし、正しい言葉でなければ使ってはならないということになったら、私たちは言葉を失ってしまうのではないでしょうか。人間関係は「正しい言葉」よりも大切なものです。言葉は幸せな人間関係のために使われるべきものです。

夏休みが終わって積極的に話し始める子がいます。とても良い「言葉の経験」をしてきたのでしょう。「この子がこんなにお話しするようになったのか」と驚き、うれしくなります。ただし必ずしも正しい言葉ではありません。乱暴な言葉、汚い言葉もつかいます。物の名前も間違っています。でもそこで直ちに「それは使ってはいけない言葉」、「それは間違ってる」と言われたらどうでしょう。言葉の初心者である子どもから言葉が失われてしまうかもしれません。言葉を道具として使った幸せな人間関係への可能性と将来に影をおとす方が恐ろしいことです。

ですから、たとえ間違った言葉でも、それで仲良くなれたら、人が互いに通じ合うことができたなら、それは「幸せの言葉」です。子どもの時には「幸せな言葉」の世界を守ってあげることが第一なのです。正しい言葉は、大人が「正しい言葉」を話す姿を見て覚えていきます。言葉は深い思考と理解の道具でもあるからです。

言葉はこの先も一生学び続けるものです。大人もマナー教室で敬語を学ぶ方がいるではありませんか。まだ始まったばかりの子どもの言葉の世界を、焦って「一人前の大人」へと引き上げるのは無理があります。

繰り返しますが、言葉は「幸せな関係」を作るためにあるのです。その視点から子どもの言葉の世界に耳を傾けてみてください。それから、ご自身の大人の使う「幸せな言葉」の世界を聞かせてあげてください。

※金田一秀穂先生の講演は、みやざき中央新聞2397号(2011/1/17)から連載された「九州PTA研究大会記念講演」を参照しています。

2018年09月29日