「9月入学」の話題

いきなり出てきた「9月入学」の提案について、思うところがあったので記します。感情的なところはおゆるしください。あまりにも無責任な提案だと感じ、正直腹を立てました。
まず、新型コロナウイルス感染症がなければ、私は9月入学への移行について賛成です。ただし、今は新型コロナウイルス感染症との戦いの真っ最中です。
9月入学について、「コロナとは別問題」という考えに批判的な声を聴きますが、実際、別問題だと思います。今は無用な議論だと考えています。
9月入学ということは、これまでも意見を聞きながらそれでも実現できませんでした。9月入学という改革は、この状況の中で事実上3か月以内で可能な程度の「簡単な」取り組みなのでしょうか?大学受験改革すら満足に実行できなかった程度の人的資源と調整力しかない政府と役所で、本当に学生、学校、社会を「今後も」支え得るシステムが構築できるのですか。「やってみたけどダメでした」では済まない課題です。やるならば絶対に成功させなければならない改革です。
9月入学を今の学生たちのための救済策とすることは不可能です。そもそも9月にコロナウイルスの脅威は収束するのでしょうか。
こんなに医療も教育も保育も福祉も役所も会社も家庭も疲弊している中で、本気で9月入学の実務を担える人間がまだ、「いる」と思っているならおめでたいことです。AIにでもやらせますか?そのAIの開発は誰がするのでしょう?提案されたことを吟味するだけで浪費される時間と資源があり、実現のためにドミノ倒しに下部に位置する立場の人間を圧迫することを想像しておられるのでしょうか。
意見される方々は、自分は実務をやらないから何でも言えるのでしょう。一日この議論に政府を釘づけにして、数少ない役人を拘束することで、現在のこの国で何人が生きる術を失い、死を選ばざるを得なくなるか考えたうえで提案されたことなのですか?
現在の状況で緊急支援の一つも速やかに決められない、未だにPCR検査もろくに増やせない、国産治療薬の治験も満足に揃えられない、みえみえのごまかし答弁しかできない、そんな能力の足りない政府と役所を、この薄っぺらな提案と議論で1分たりとも拘束すべきではありません。ただでさえ少ない有益なキャパシティがさらに無くなります。その結果苦しむのは国民であり、学生です。それでも私たちが選んだ政府なのですから。敵前逃亡させずに上手に使い潰さないといけません。
コロナ収束後に9月入学賛成の方は「忘れずに」大きな声を出していくらでも働きかけてください。収束後に継続して速やかに動くべき議論であって、現在議論すべき話題ではありません。これに現在予算を割くべきではありません。
災害クラスの危機の中で大事なことは、「元の状態に戻す」ことです。「これを機会に新しい~」ということを言い始める方がいますが、新しいことというのは一体どのようなものなのか、何を準備すればいいのか、実は誰も知らないのです。各方面の共通理解を得ることができず、理解を得ることに時間を費やして肝心の助けるべき人々を放置してしまします。しかし、元に戻すということは、もともと知っている形に戻せばいいので共通理解の下で各分野が力を発揮しやすくなります。既に一度構築されたものを再現するので、ノウハウもあります。結果として早く回復します。回復した後で、災害の危機の中で新たに上がった問題点や課題を実現するために改善をするものです。この時期に新しいことを始めろというのは、東日本大震災やその後の災害を経験してきた日本のインテリジェンスあるはずの人々の発言とは思えません。
もっと喫緊の救済策をどんどん学生を救うために広く、分厚く、お金をかけてすべきです。「あなたがたの将来に、決して不利益を与えない!失われた世代には決してしない!」という断固としたメッセージと共に。

2020年04月30日