性分を直すのは難しい

マイペース、飽きっぽい、だらしない、怠け者、落ち着きがない等々、どうも私たち大人は子どもの困った性分に目が行きがちです。そして、何とか「直す」ことができないか、と考えます。「鉄は熱いうちに打て」とばかりに、「子どものうちなら困った性格を直すことができる」と思われるかもしれませんが、子どもが自分の性分を(大人が描く望ましい方に)変えるのは相当難しいことです。
大人になって大変な失敗を経験した後に、「この性分を直さないと取り返しのつかないことになる」と自覚したり、「この人の生き方に感動した。自分もこうなりたい」というような、強烈な経験とモチベーションを得なければ、大人でも難しいことでしょう。
まして、幼児期の子どもにとって最も重要なのは「今」です。子どもは「今」を生きています。将来を見通して性分を変える必要性を感じるということは無いでしょう。叱られるたびに困ったりしても、改善の必要性を感じることはありません。
子どもは3歳になれば、母国語をかなり巧みに使えるようになります。自転車の練習をすれば、一日もかからず乗れるようになります。縄跳びもフラフープも見事に上達します。好きなことにとんでもない集中力を発揮して、幼児期は乾いたスポンジが水を吸うように、新しいものを次々と吸収していきます。そのような子どもの姿を見ていると、「吸収力と成長力が抜群の子どもうちなら、困った性分も直せるだろう」と思ってしまうのです。
しかし、新しいことを吸収し成長することと、性分を直すことは、人間にとって全く別の事柄です。
性分というのは、つまり個性です。持って生まれた資質であって、それを変えるというのは、新しいもので上書きすることはできないのです。いかに困った性分であっても、個性を変えろ(直せ)と要求されて応じられるはずがありません。むしろ、要求されて簡単に個性を変えてしまう人間がいたら、その人間はかなり危険です。
困った性格は子どものうちには直らない、という事実をまず受け止めることが大事です。そのうえで、困った性格のもたらす「困ってしまうこと」を補う工夫を考えたいと思います。「こうあるべきだ」という勝手な期待をあきらめて、ありのままを認めることからはじめ、気持ちよく手助けしていくことが肝心でしょう。困った性分を直すよりも、それを失敗につなげないように補う手段を学び、吸収する方が、人間は得意です。
マイペースな子は、他人に惑わされずに自分のペースを着実に進める子です。飽きっぽい子は、次々と好奇心が湧いてくる子です。だらしない子は、細かいことにこだわらない大らかな子です。怠け者というのは、楽天的で図太い性格ということです。落ち着きがない子は、それだけ生きるエネルギーがたくさんあるということです。
今は気休めに思われるかもしれませんが、実際、人の長所や短所はいつも裏表の関係で、「困った性分」の裏側にすばらしい力があるものです。それは往々にして主体的に生きる力につながっています。主体的であるということは、自分でやりたいことを、自分で見つけて、自分でどんどんとやっていくという実現力をもった姿のことです。そういう力こそ生きていくうえで重要です。

2020年08月17日