今日の姿を見る

「見守る」ということについて以前「守る」ということから記しました。それでは、保育としての「見守る」時の「見る」は何を見るのでしょうか。子どもに危険がないかを見ることは当たり前のことです。それ以外の何に気持ちを向けて「見る」ことが、子どもの育ちに大切なのかということです。
幼児教育において「見守る」という時の「見る」とは、どこまでを助けたり補ったりするのか、どこからを子どもたちを信頼して任せるかを選びなおすために行います。子どもの今日の姿を見て、子どもとの関りを選んでいくことです。子どもは日々成長し変わっていきます。体調や気分も違います。それに合わせて大人が関りを見直す必要があります。
分かりやすい例としては、子どもが道を歩くことを考えてみます。歩けない乳児の時は抱っこしたり、ベビーカーに乗せます。子どもが歩けるようになると、手をつないで歩き、曲がり角では大人が危なくないか注意をして曲がります。しばらくすると、手をつないで歩く必要がなくなりますが、まだ一人で歩かせるのは危険なので大人が一緒に歩きます。さらに子どもが成長すると、一人で大丈夫だと信頼できるようになって、一緒に歩く必要が無くなっていきます。ただしそれは、今日の子どもの姿によって行ったり来たりすることがあります。もう手をつながなくても大丈夫な年齢であっても、初めての道を行くときにはつないであげる必要があるかもしれません。そこで、今日の姿をしっかりと「見る」ことが大事なのです。今日の子どもの姿を見て、どこまでを任せ、どこから「守る」のかを選ぶことが「見守る」ということです。
子どもが好きで、子どもを守りたいという気持ちが強い人はこの点で過保護になるかもしれません。その結果、「見守る」ことが「監視」になってしまいます。そうなると、子どもの行動にいちいち口を出し、結果として「それはダメ」という否定ばかりが子どもに届くことになります。あるいは、子どもが「あとちょっとでできる」「もうちょっと頑張れる」、そういったことを先回りして手を出して「やってしまう」ことで、子どもの育ちを邪魔してしまうかもしれません。
子どもが育つときに、「成功体験」が重要なのは言うまでもありません。小さな成功体験の積み重ねが子どもに自信を与えます。だから、「この子は靴を自分で持ってくることはできる。それなら私はかかとを入れるときにちょっとだけお手伝いすればいいかな」、「この子は伝えれば、自分でコップを持ってこれる。私は麦茶を注いであげればいいのだな」、「この子は”何が食べたい?”と聞くと困ってしまうようだけど、”ハンバーグとコロッケのどっちが食べたい?”と聞くと自分で選べるんだな」というように、子どもの成長に応じて、大人の手助けを決めていきます。大人の手助けを「どこまで減らせるか」を考えるのです。
子どもの成長はきれいなグラフで表せるような単純なものではありません。時には逆戻りもします。先週できても、今週はできないということも起こります。だから、「見守る」ことで、今日の子どもの姿に合ったサポートを定めるのです。
このことを意識すると、子どもの得意・不得意が見えるだけでなく、見守られる子どもの中にも、見守る大人の中にも、互いへの信頼感が育っていきます。この点が育たないと、信頼されない子どもは「お父さん、お母さん(あるいは先生)の機嫌がよくなることがいいことだ」と考えてしまい、大人の顔色を伺うことになります。それは決して望ましい姿ではありません。信頼よって支えられる人間関係を作り上げていくのが、望ましい「見守り」です。

2020年08月27日