子どもの役割

先日、バスに乗っていたところ、こんな光景に遭遇しました。

混んでいるバスの入り口付近に見るからに近づきがたい雰囲気の険しい顔つきの青年がいました。足を投げ出すように寄りかかって立っているので、通路が塞がれています。そこにベビーカーにお子さんをのせたお母さんが乗車してきました。「ごめんなさい」と言いながら奥に進もうと若者の傍を通りました。若者は明らかに迷惑そうに足を引っ込めました。しかし、混んでいるため奥に進めず、お母さんは若者の傍にベビーカーを押さえながら立ちました。丁度スマホをいじる若者の視線に、ベビーカーのお子さんが見える位置でした。

若者は相変わらず険しい顔でスマホをいじっていましたが、バスが動き出してしばらくしたらスマホから視線を外して、ちらちらとベビーカーのお子さんに視線が動くようになりました。そしてさらにしばらくしたら、何と近寄りがたい険しい顔をしていた若者が百面相をはじめたのです。唇をつきだしたり、笑ってみたり、しかめっ面をおもしろくやったり…。大変失礼ですが、とてもそんな表情を人前で見せるように思えなかったので、とても印象的でした。もちろん可笑しなものと感じませんでした。善いものを見たという思いがありました。

松居和先生(元埼玉県教育委員長)の講演で伺ったことがあります。それは社会において0歳には0歳の子どもにしかできない仕事があるというお話です。それは、「人の善いものを引き出す」ことで、私たちは0歳の子どもによって「善い人間」に育ててもらうのだと話されました。先ほどの光景からそのことを思い出しました。子どもの求めていることや心はわからないことがいっぱいあります。しかしその「わからない」相手の心や気持ちを理解しようとするために、忍耐やコミュニケーション力が引き出されてくるのです。それも周りにいる人を引き付けるほどの幸せと共にです。そして人は自分自身を「善い人」と感じ取るのではないでしょうか。0歳は0歳にしか出来ない仕方で家庭を守り、社会を守る仕事を果たしているのです。そんなことを思わされた光景でした。

 

 

2018年09月02日