見ているだけの子

子どもたちには、遊びに入らずに「見ているだけ」の子がいます。かくいう私自身も幼稚園の頃は見ているだけのことが多い子だったそうで、「この子、大丈夫かしら」とずいぶん心配されたそうです。

先生が「さあ、~をしましょう」と誘っても加わらずに見ているだけです。こういう子がいると若い先生は遊びに加われるようにと様々に声をかけますが、うまくいきません。それで先生は自分の力不足を感じてしまい、親は心配してしまうのですが、これは先生の力不足の結果ではありません。「心配無用」です。

見ているだけの子どもの状態について学問的な解説をすると、発達心理学者のM・B・パーテンは、見ているだけで遊びに加わらない子を「傍観的状態」と呼んで、その先にある「協同あるいは組織的遊び」への第一歩と位置付けています。またバンデューラという心理学者は、学習は自分が体験しなくても、他者の行動を観察することによっても成り立つことを実証しています。

見ているだけの子は、決して気が弱いのでも、寂しい思いをしているのでもないのです。目の前の遊びを観察して学習し、そこに自分が加わるタイミングを自分で計っている最中なのです。「よし!」と決意が固まれば、自分から進んで「入れて」「やりたい」と明確に意思を表します。むしろ、見ているだけの状態をきっちりやらせた方が良いと考えています。「見ているだけじゃダメ!」と無理に誘って、強引に遊びに加えても子どもにとって良いことはないでしょう。また、「それなら別のことをする?」と別の遊びを促すというのもお勧めしません。それらは、見ているだけという準備段階の中にある子どもの興味関心を破壊してしまうことです。形ばかりは遊びに加わっても、そこに子どもの主体的行動はありませんからすぐに「やめた」となります。子どもがその遊びを通して得るものは不快感だけです。

子どもを見守るというのは忍耐のいることですが、子どものために何もしないという選択も大切なことです。「やりたくなったら、やるでしょう」というくらいに気長に楽観的に構えているのがいいのです。

2018年10月04日