甘えの大切さ

『「甘え」の構造』(土居健郎著 1971年)という書物があります。私は学生時代に父に勧められて読みました。名著だと思います。「甘え」と「甘ったれ・甘やかし」を峻別し、かつては「甘え」が潤滑油となって社会集団をまとめていたが、近代では社会が「甘え」を許さない代わりに、一方的な「甘やかし」と独りよがりな「甘ったれ」が生じたことを論じています。

子どもにとって望ましい環境を英語では「safe」という語で表現されることが多いです。直訳すると「安全」ですが、むしろ「無条件に存在できる」という「甘え」を含むニュアンスを持つ言葉です。子どもにとっての「甘え」を許される環境とは、どのようなものでしょうか。

故・佐々木正美先生は、著書『子どもの心の育て方』の中で、「どうぞ子どもを甘やかすことを厭わず、一生懸命にかわいがって育ててあげてください」と記しています。佐々木先生は過保護を決して悪いこととは言われませんでした。子どもは愛情をたっぷりと受けて、自分に対しても、周囲に対しても信頼感を抱きます。そこから自律心が育つということを語っています。しかし、佐々木先生は過保護と過干渉は違うことを指摘しています。過干渉は子どもの主体性を損なうと指摘されます。

過干渉は、子どもが行動する前に、子どもに代わって言葉を言ったり、子どもの代わりに行動してあげることを言います。それは一方的な大人の干渉です。言い換えるならば一方的な「甘やかし」です。過干渉は、子どもの自立の機会を奪います。「ああしろ、こうしろ」という指示を与えられないと自分がやりことが何なのかわからなくなります。

子どもにとっての「甘え」の許される環境とは、子どもが安心して自分自身の言葉を発し、自分自身で行動することを受け入れてくれる環境です。つねに「だめ」と言われ続ければ、「こんなことを言ったら嫌われるのではないか」、「こんなことをしたら怒られるのではないか」といった不安が起こります。この場合の許される「甘え」とは、完璧を要求されないということです。

子どもにとって「甘え」を妨げるものとは、大人の否定的な態度です。周囲と同じでないと受け入れてもらえないという圧力や、失敗を許してもらえないこと、間違いを悪いこととして責めること等です。子どもにとって、それらは全て成長の道半ばの姿であって、成功のための失敗であり、正しいことを身に着けるための間違いなのです。そこで、子ども自身の取り組みや試行錯誤を否定されると、自分に自信が持てなくなります。

もう一つ、身近な人間の会話が否定的なものや他人を蔑んだりするようなことばかりだと、子どもは自分が悪くないのに、自分が悪いと感じるようになります。これは本当で、以前、他の子が先生と話をしていたら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と突然あやまりはじめた子がいました。担任がびっくりして、「大丈夫だよ。誰も怒ってないよ。大丈夫だよ。誰も叱られtないよ」と抱きしめていた光景がありました。

子どもが安心して本音を言い、自分自身のやりたいことを試せるように、大人は勇気をもって子どもの「甘え」を受け止めたいと思います。そこに、社会の急激な変化の中で疲れている大人自身の「甘え」を受け入れてもらえる幸せも生まれてくるのではないかと思います。

2020年10月12日