平等に扱うことをやめてみる

人は「みんな平等」ということが好きなようです。兄弟姉妹を育てておられる保護者の中には、子どもたちに平等に接することを大切にしている方もおられるでしょう。

しかし、ある人にプレゼントをあげたら、世界中の人にも同じプレゼントを配る必要があるでしょうか。寒い土地に住む人には熱いスープが喜ばれ、熱帯では涼をとる氷の方が喜ばれるのではないでしょうか。

人は一人ひとり必要や要求といった希望するものが違います。兄弟姉妹であっても、同じクラスの子どもたち同士であっても違います。これは多様性とも関係しています。現代は様々なカテゴリーの多様性に注目がありますが、突き詰めれば一人の人が生まれるたびに一つの多様性が生まれているのです。

人に対して公平であることは大切なことですが、多様な希望に対して、平等に扱うことが必ずしも正しいことにはなりません。

例えば兄弟の間でお菓子を一緒に食べたときに、「弟は2個食べた」と兄が言ったとします。そういった時に「お兄ちゃんも2個欲しかったのね」と言って、2個目をあげるということがあります。しかし、果たして兄の希望は「お菓子を2個もらう」ことだったのでしょうか。「お兄ちゃんはいくつ食べたいの?」と聞いたら、自分はもういらないと言うかもしれません。あるいは、自分は5個欲しいというかもしれません。平等に扱うことがいつも本人の希望と一致してるとは限らないのです。

そこで、平等から公平に考え方を変えてみましょう。お友だちが何かのキャラクターの持っていると話してきたら、持っている子と比較して平等に「あなたにも買ってあげるわ」ではなく、「あなたは何が欲しいの?」、「どうして?」と、子ども自身に向き合って希望を聞くようにしてみてください。案外、子どもの希望は同じものが欲しいということではないのです。

他の子が持っていて、自分が持っていないことからくる不安からの発言だったり、自分も必要なものを求めると得られるという安心感を求める思いからくる、子どもなりの主張であることが多いのです。そういった時に子どもの本当の希望は同じキャラクターのおもちゃではなく、「安心感」だということになります。

平等というのは、行き過ぎるとお互いを拘束し、状況の中で強制されるものとなります。
子どもを「平等に扱う」ことから、子どもに「公平に向き合う」ことへ気持ちをシフトすると、大人の方も気持ちが楽になります。公平さが与えられると、多様な希望を持ち、差異を持つ子どもたちの間に、互いの比較に根ざすのではなく、互いに違う人格に根ざした望ましい関係への道が拓かれると思います。

2020年11月26日