おしゃべり=思考

幼児期の子どもは、いつでもどこでもしゃべり出します。「静かにしなさい」と言ったことのない親や保育者はいないのではないでしょうか。

幼児期の子どもにとって、しゃべるとはすなわち思考です。大人のように言葉を発せずに考えることができず、頭に浮かんだことをすぐに「おしゃべり」という形で表に出します。これは思考能力を得るための通過儀礼のようなものです。まず音声として外に言葉を出し、その繰り返しによって頭の中だけで言葉が操作できるようになります。

これは、逆に言えば幼児期の子どもに静寂を強制することは、すなわち「考えるな」と命令しているようなものだということです。これまでも何度も記しましたが、子育ては大変忍耐のいることです。それは苦痛に耐えるというよりも、大人から見ると「無意味」「無価値」に思える子どもの行動に「忍耐」して向き合うということです。子どものおしゃべりも大人から見ると、迷惑で、空気を読まない身勝手な「無価値」な行動に思えます。大人の方は、自分の予定通りにしないで勝手に話し始める子どもに腹を立てます。そして「静かにしなさい。今、何をする時ですか!よく考えてみなさい!」と叱るのです。しかし、それは子どもにとって、「考えるな」と命令されていることと同じです。

すこし柔和な大人ですと、「後でお話しを聞かせてね」と言って静かにするように促します。しかし実際に後でお話しをしてくれる子どもは極少数です。おしゃべりを封じられると思考を整理できないのですから、「後で」はそもそも無理な要求です。

「静かにしてね」が口癖になっていたら要注意です。大きな声で騒ぐとなれば「もう少し小さい声で話そうね」と注意します。それでも、また大きな声になるでしょう。それだけ思考が活発にされているということです。もう一度、「静かにお話ししようね」と声をかけます。何度も繰り返すとうんざりするでしょう。これが電車の中だったら周りの目が気になってしかたないでしょう。中には「何でもっと厳しく言わないの!」と余計な忠告をする他人がいます。それらに耐えて子どもと一緒に過ごすのは本当に大変です。でも、そこで思考する子どもを守るから「保護者」なのであり、「保育者」なのです。

お絵描きや工作、活動するときに「おしゃべり禁止」にしたら子どもたちの作品はつまらないものになるでしょう。創造性も主体性も工夫も何もかも奪われて「おもしろい」ものが生まれてくるはずがありません。そして、お絵描きも工作も、その他の活動も絶対に「嫌い」になります。

子どもたちに静かにしてほしい時には、「静かにしなさい」と命令するのでなく、子どもが静かにしたくなる環境をつくるのが最もよい方法です。例えば幼稚園の先生が行う保育技術にとして「わざと小さい声で話す」ことをします。すると子どもたちは静かになり耳を澄ませます。もう一つは、子どものエネルギーをできるだけ発散させてから静かにする時間を迎えさせることです。子どもは動きが活発で、わずかな距離でも駆け出したり、とにかく動きます。幼稚園の先生は「動」と「静」の切り替えを意識して、子どもたちの活動を工夫しています。特に一日の最初の活動を「動」として十分に身体を動かすと、その後落ち着いて「静」の活動に移ります。「動」と「静」の割合は7:3くらいです。これも保育技術の一つです。

2018年10月09日