憧れを守る

「憧れ」は子どもの成長を促すとても大きな力を持つ感情です。親、家族、お友だちや先生等の人との関係性を発達させた子どもは「憧れる気持ち」を抱くようになります。その対象は多くの場合、原点に母親、そして父親があり、さらに人に限らずキャラクターや年齢が上の子どもなどに広がっていきます。

「憧れ」は単純に表現すると「~みたいになりたい」という気持ちです。それが自分を前進させるための大きな原動力になります。「~に憧れなさい」と子どもに指示したことのある人はいないと思います。「憧れ」は人に指示されずに自分の内側から取り組む内発的動機に属します。しかしそれと当時に憧れの対象から気持ちを引っ張り上げる外発的動機づけをもらうところもあります。内発的動機と外発的動機が結束して育ちの原動力である「憧れ」となります。そして、「憧れ」は子どもに自律性による行動の変化をもたらします。

育ちにおいて大きな力となる「憧れ」を守ってあげることは、大人の大切な義務です。そして、「憧れ」を通して多くのことを学び取っていくことを子どもの育ちのために用いない手はありません。「静かにしなさい!」と叱るかわりに「忍者になって行くよ。見つからないようにね」と声をかける方が子どもにとって行動が具体的に伝わります。

しかし乱用することは禁物です。小学校入学前の年長のお子さんに「もうすぐ一年生になるんだから、お弁当を残さず食べられるよね」とか「もう一年生になるんだから一人でできるよね」といった声掛けが頻繁に行われます。そこで注意して欲しいのは、「憧れ」を抱いている子は「憧れ」の対象にまだ追いついていない、ということです。頑張って憧れの対象に近づこうとしている子に、あまりにも憧れを刺激する言葉を乱用すると「一年生になりたくない」とむしろ幼さに戻ってしまうこともあります。

そして、これは同時に「憧れ」の対象に近づくために「失敗」をすることを恐れさせないことでもあります。「失敗」は「悪いこと」ではありません。「憧れ」に近づくためのステップです。過度に憧れを刺激することは、完璧主義に陥らせ、「失敗」を恐れさせることになり、やはり「憧れ」を失うことになりまねません。子どもの憧れの原点である母親や父親が、自分自身の失敗体験についてお話しできると良いと思います。何かを達成するというのは、いきなりできることばかりではないこと。何度も練習してできるようになること。時にはうまくいかなくて「諦め」なくてはならないこと。こういった経験はマイナスイメージでとらえられ、子どもにとってこれは「避けるべきもの」となります。そんなときに、誰でも最初はうまくできないということや、少しづつ上手になることを身近な大人が見せることができれば「憧れ」は守られます。

<参考>「発達教育2018.10」号特集『人と関わりたい気持ち、人に憧れる気持ちを育てる』安住ゆう子

 

2018年10月24日