自立とはどんなことか

介護保険を通してサポートを受けられる方の立ち合いをお願いされて行ってきました。ケアマネジャーの方が熱心に介護サポートをお勧めする姿を見ながら、そこで使われる「自立」という言葉が「自分でできる」ということに意味が限られていることに気が付きました。「~ができる」、「~へ移動できる」といった具合です。介護の現場では安全という意味でそれでよいのでしょう。

しかし私が度々使う「自立」、つまり幼児教育における「自立」はただ「自分でできる」ということに限りません。「自立」とはもっと全人格的なものです。その人の感性、知性、理性、意志、肉体を駆使するものです。

「自立」は、自分自身に対する自信や確信に基づく安心があり、周囲の人や物と安定した関係を築いており、自分で選択し、責任を取ることであり、それらの実現のため行動に挑むことです。このすべてがあって自立が成り立ちます。必ずしも「自分でできる」ことが全てではありません。そこに自主性がなければ「自立」ではないのです。

この「自立」へと向かうために、かならず子どもがたどる「道」があります。まず自分からすすんでかかわること、次にそのかかわったことを続けること、続けているうちに単なる運動が感性、知性、理性、意志を駆使するものとなっていきます。そして、満足を実感して終了します。この段階を経て、自分自身に対する自信や確信を得ると、子どもの人格が奥底から変わっていくのです。

集団保育の現場で、優れた教師は「指示」の下で子どもたちを動かすことをしません。初めに子どもたちの興味を引くいくつもの方法を用意して、子ども自身の「やってみたい」という気持ちを引き出します。例えば競技や、劇や合奏、歌の時です。人に動かされるのではなく自分から決めて始めることができた子どもは、人に依存せずに取り組みます。やがてその活動の満足や充足が、子どもの中に自信と確信を育て、人への親切へと発展したり、周囲への思いやりを発揮したり、より良いことをしようとする態度に繋がっていきます。自由を守られたことで、かえって規律意識を育てるのです。

一つの活動に集められたエネルギーが満たされ、集中した活動によって大きくなり、「やり遂げた」という満足を得ると、今度はその大きく膨らんだエネルギーが、人格の諸相に調和をもって再び分配されるのです。集中と調和のプロセスを通して人格は育ち、自立が得られます。

きっかけは大人の目から見ると生活上の小さなことかもしれません。しかしそこから育つ「自立」とは全人格的な営みの成果なのです。

2018年11月09日