「真似」のすばらしさ

以前、何かの記事で読んだのですが、「真似」には「猿真似」という言葉がありますが、実は猿は生まれて後のごく短い期間を除いて真似が殆どできないそうです。逆に人間は猿と同じく生まれて後のごく短い期間の真似が見られなくなったあと、しばらくするとすさまじい勢いで真似を始めます。それが一生続くのだそうです。「真似」が上手で、「真似」の恩恵を最大に受け取っている生物が私たち人間です。

西荻学園幼稚園にも兄姉のいるお子さんがいます。兄姉のいるお子さんは、いないお子さんと比べると、技術や交渉や秩序感といった面では発達が進んでいることが多いです。これは、身近な年上の子の「真似」をしたいという強い動機が子どもたちにあるからです。この気持ちはどんな先生の指導力をも超えて子どもたちを突き動かします。新しいことに挑戦するときも、親や先生がどんなに促しても励ましても教えても、一向に挑戦しなかったお子さんが、上の年齢の子どもがそれをするのを見て、「自分も、自分も」と名乗りを上げて挑戦するということは幼稚園ではよく見られる光景です。固く閉ざされていた心の扉が、年上の子の声掛けをもらったり、楽しくやっている姿を見ると簡単に開くのです。

これが同年齢では、こういうふうにはいきません。意外に思われるかもしれませんが、幼児期の子どもは極めてプライドの高い存在です。同年齢のお友達のアドバイスを素直に聞くことはなかなかできません。しかし、自分より年齢が上の子どもとなれば、プライドが傷つくことはありません。その分、素直にアドバイスを受け入れられるのです。

そして、これは真似る側だけのことにとどまりません。真似られる側、アドバイスを与える側の子どもも、自分より年下の子であると、教えることに抵抗を感じないことが多いのです。逆に、同年齢では自然に競い合っていますから、「真似するな」と声を荒げるのです。ところが、年下の子が自分の真似をしているのを知ると優越感を感じます。「~ちゃんがやってるのは、私をまねしてるんだよ」と、わざわざアピールします。純粋な意味で、「誇り」がそこにあります。これも素晴らしいことです。

年長児の頃には、お友だちの間にはライバル意識も芽生えています。勝負事を望むようになり、勝ち負けに敏感になりこだわります。負ければひどく落ち込むこともあります。そんなときに自尊心を取り戻し、平常心を取り戻すために自然に年下の子どもたちと遊んで気分を切り替えて戻ってくるということがあります。どんな慰めよりも、自分が年下の子たちのあこがれの対象であるという自覚が子どもの心を修復します。

このことは、同時に「自分(あるいは年長)こそ幼稚園のリーダーだ」という意識を生みます。わがままを言ったり、片づけをしないと、年下の子たちから「A組(年長クラス)さんなのに、変だよね」と言われている場面も見られます。先生には色々と言い訳をしたり、無視したりしていた子が、年下の言葉を聞くととたんに動き出すのです。

「学ぶ」は「真似ぶ」から転じた言葉と聞いたことがあります。真似を通して「学ぶ」ことと「教える」ことを子どもたちは経験します。「真似る」、「真似られる」ことで子どもたちが得るものは多様で、どれも素晴らしい力を子どもたちにもたらします。それは幼児期や少年期だけでなく、必ず将来大人になっても力を発揮します。

2018年11月22日