一緒に遊ぼう

幼稚園の園庭での出来事です。年長さんの女の子が2人、砂場でままごとをしていました。そこに年少の女の子がやって来て、「一緒に遊ぼう」と声を掛けました。年少の女の子はままごとに入れてもらいたかったのです。

「一緒に遊ぼう」「…」「一緒に遊ぼう」「…」、何度声をかけてもままごとをしている年長さん2人は一切応えませんでした。もちろん聞こえていないわけではありません。年少さんもあきらめません。「一緒に遊ぼう」「…」「一緒に遊ぼう」「…」「一緒に遊ぼう」「…」。

こういうやり取りを見ると、私たちは「聞こえないの」「ちゃんとお返事しなさい」「入れてあげなさい」と言ってしまいそうになります。年長さんのおねえさんなんだから、小さな子に親切にしなさいと「指示」したくなります。

しかし、ままごとに加わろうというのは年少さんの課題です。ままごとに入れてあげるか、拒絶するかは年長さんふたりの課題です。課題を奪ってはいけません。

「○○ちゃんは年長のおねえさんたちと一緒にやりたいんだね」と年少さんの思いを先生の声で年長さんに聞かせます。別の遊びに興味が向かないことも確認して年長さんにもわかるように確認します。ただし「入れてあげなさい」と先生は言いません。

黙っている年長さんは意地悪をして黙っているのではないのです。二人で作り上げている今の遊びの世界が大切なのです。壊されたくないのです。それは当然の心持ちです。どうしても入ってほしくない、というのも大事な選択です。しかし、小さな子の求めを無視することもできないのです。自分たちの遊びを維持しながら、新しい子をどう加えていくのか。彼らはとても難しい人間関係の課題に向き合っているのです。だから黙ってしまうのです。

年少さんは諦めずに「一緒に遊ぼう」と声をかけつづけました。年長さんは黙っていました。10分以上のやり取りです。こどもの遊び時間としては長く感じる時間です。年長さんの視野が狭くなって行き詰りそうなタイミングで、状況に目を向けさせるような声掛けを先生はします。年少さんを加えるためのきっかけとなるものに気づかせます。ついに「これを使っていい」と年長の一人が声を出しました。「こっちでやって」ともう一人が居場所を指示しました。ぎこちない中で3人でままごとが始まりました。3人の子どもがそれぞれの課題を達成しました。

「みんな仲良く」は大事なことです。でもそれは強制されたとたんに無価値なものになります。自分自身の課題の中で選択されるものです。安易な「仲良く」という指示は人間関係の課題を子どもから奪います。そんな時に大人に求められるのは「こうしてあげればいい」という解決策を出すことではなく、言いたくなる気持ちを抑えて、子どもの課題のサポーターとして同行することです。

 

 

2018年09月13日