哲学を体験する

「哲学」というと、幼児期の子どもにはさっぱり関係がないように感じられて当然です。実際、プラトンやアリストテレスを読み聞かせなさいということとは違います。哲学から学ぶのは、思考過程に当たる「プロセス」であり、哲学者自身の問題や課題への向き合い方です。つまり、子どもが哲学を体験するときに大切なのは、哲学を学んだ大人の先導です。

哲学について日本人の多くは勘違いし、学び方を間違えていると思います。少なくとも哲学を解説して生業にしていこうというのでもない限り、哲学者の業績など学んでも雑学程度の意味しかありません。そんなものはネットで検索すれば丁寧な解説がいくらでもあります。そもそも、現代の科学で間違いと証明されているような内容を何で知る必要があるでしょうか。哲学を学ぶというのは、哲学者の主張内容を覚えることではありません。

大事なのは、哲学とは世界の中に「不思議」を感じた歴史であり、気になって仕方がない疑問を解こうとした「思考」と「情熱」の歴史の記録だということです。数多の英才たちが重ねた思考のプロセスを知ること、それによって世界の不思議にどのようにアプローチするのかを体験することが幼児期の「哲学」です。

「わからなーい」と思考停止することなく、「~先生が言った」と権威に依存することなく、自分自身の感じた「不思議」と「疑問」を、粘り強く思考を掘り進める知的な態度と思考のプロセスを自分自身で経験していない者が、新しい営みを開拓することはできません。哲学の態度は、「すぐに役立つ知識を追い求める」欲求にいつも脅かされます。すぐに人に頼って手にしたインスタントな知識である「すぐに役立つ知識」は、すぐに役に立たなくなると言われます。また、全知となることはできません。自分の知りえる全てが役に立たないときや不十分な答えしか得られないときに、諦めるのか思考を掘り進めるのかで人格や品格が決定的に異なります。

子どもが何かに疑問を持ったら、本人が納得するまでまず思考を掘り下げる対話を心がけたいと思います。それが哲学を体験させるということです。子どもが突拍子もない答えを語っても、「どうしてそう考えたの(思うの)?」と興味津々で聞いてみてください。彼らの「哲学」を学べます。私にとっても実に学びがいのある「論理」があります。決して馬鹿にできません。それこそ「ホモ・サピエンス」です。それから大人は、子どもの出した結論が「正しいかどうか」を哲学プロセスを一緒にたどって掘り下げていけばいいのです。

大人が本当に幼児に対して苦労すべきところは、答えを教えることではなく、哲学の思考プロセスの道中で如何に子どもの興味を維持し続けるか、です。その方がよっぽど難しいことであり、それこそ子どもだけではできないことなのですから。そこにこそ環境を整える大人の出番があります。

「幼児期の環境はストレスを感じるぐらいでないといけない」、とは私の先輩にあたる園長の言葉です。何でも与えていると、本人は王様のように振舞いますが、実際には環境の奴隷になって哲学を失うということが起こります。哲学できなくなることは、「ホモ・サピエンス」でなくなってしまうことに他なりません。それこそ本当に恐るべきことです。

2019年02月05日