何かを教えたいという焦り

子どもと一緒に過ごしている時、「何か教えなければいけない」という焦りを感じることはないでしょうか。
仕事や家事がスムーズにできて、今日は子どもと一緒に過ごせる、と思って「何して遊ぼうか?」と尋ねます。例えば「塗り絵がしたい」と言われて塗り絵をしていると、「今日は天気がいいのだし、せっかく一緒に過ごす時間があるのだから、外でボールで遊んだほうがいいのではないか」、「ずっと塗り絵をしているよりも、せっかく一緒に私がいるのだから、折り紙やあやとりを教えた方がいいのではないか」。そんな風に感じることがあるのではないでしょうか。
子どもにとっては、大好きな人が一緒にいてくれるだけでいいのですけれども、何か教えなければいけないという気持ちがわいてきます。これは親に限らず、幼稚園の先生も、子どもと接する大人の多くが感じることのようです。子どもに何か一つでも新しいことを覚えてほしい。何か一つでも教えたいと思うのは、未来へと続く子どもの中に自分の存在価値をささやかであっても残してほしいという、大人となった命の焦りなのかもしれません。
人に教えるという焦りは、独特のものです。そこで自分自身の価値が決まってしまうような脅迫感があるからです。教えられることがなくなったら、もうその人と一緒にいられない。もうその人にとって一緒に過ごす価値のない人間になってしまう。このじっとりとした心の中にある、「自分自身の価値」に関わる恐れはなかなかに強いのです。
先日、ひらがなで自分の名前を書くことをはじめたお子さんから、「『る』ってどう書くの?」と聞かれたので紙に「る」と書いてあげました。この子が「園長先生、字が上手~」と褒められてしまいました。私は実際、お世辞にも字が上手ではありません。でもひらがなを書き始めた子には、「かっこいいー」となりました。恐らく、私たち大人はこのあたりでニヤニヤしながら「ありがとう」と満足するのが一番幸せなのです。そこから、「この字、間違ってるんじゃない」と指摘すると、途端にそっぽを向かれます。
幼くても、子どもたちには自分でやりたいことがあり、自分で教わりたいことがあります。大人と子どもの人間関係には、「教える・教わる」という関係とは、ちょっと違う関係があるのだと思います。

2019年09月05日