余計なことは言わない

子どもと話をすると、何か評価を伝えたり、とにかく話を繋げようとしてしまいがちです。子どもに何かを伝えないと居心地が悪くなって、罪悪感を覚える人もいます。そこで、「上手!」とか「すごい!」とか「かわいい!」を繰り返して、何とか子どもの成果を持ち上げようと躍起になります。

しかし、子どもが求めるのは評価ではなく、何かをやり遂げたり、何かを発見したりした時の、嬉しさを共有したいのです。人間には、喜びや興奮や驚きなどの感情を、大切な人と共有することで、自分の居場所があることを知り、幸福感を持ちます。

子どもが伝える喜びや驚きを共有する時には、言葉だけにこだわる必要はありません。頷くだけでもいいし、笑顔を返すだけでもよいのです。それで、子どもは自分の居場所を知り、安心します。

同じように、余計な声かけをしてしまう場面として、子どもが何かに集中的に取り組んでいる時があります。子どもが何かを集中してしているときには、集中力を妨げないように声をかけない方がよいでしょう。子どもにとって助けが必要な時には、子どもの方がアドバイスを求めて大人の方を見ます。子どもが助けを必要とする時を共有すれば、アドバイスは余計なものとはならないでしょう。

子どもの伝えてきたことが本当にすごいことだと思ったら、「すごい!」を伝えるのも良いことです。誰もが経験することですが、どんなに美辞麗句を与えられても、心がない言葉に人は不快を感じたり、時には傷ついたりします。それは子どもも同じです。

子ども自身が努力していない、頑張っていないと自覚しているのに「がんばったね」と言われるのは、混乱を招きます。自分自身の自分への評価と、他人の自分に対する評価に明らかに違いがあると、共有の反対の事態が起こります。

褒め方が大げさすぎたり、逆に過小評価されたと感じると、子どもの気持ちは冷めます。自然にウソ偽りなく「すごい!」と褒められるのは良いのですが、褒め方で子どもをコントロールしようとすると、かえって良くない結果となります。

子どもへは本音で声をかけることを心がけ、余計な言葉に頼って子どもをコントロールしようとしないことが大切です。

これは、子どもを褒める時だけでなく、子どもを叱らなければならない時も同じです。子どものことを思って叱る言葉は、決して子どもを傷つけません。

叱る時に、怒鳴ってしまったり、大声で脅かしたり、子どもから楽しみを取り上げて言うことを聞かせようとするのは、子どもをコントロールしようという下心が見えてきて、やがて通用しなくなります。そういった場面になると、不愉快な場をしのぐことが目的となり、とりあえず「ごめんなさい」と言って、行動の改善について考えることはありません。

一方で、言葉は少なくても、大人が自分自身の本音として子どもに伝わる声量で「わたしは、それは良いこととは思っていない。そんなことをする人と一緒にいたくない」ということを短く伝えるだけで十分です。

悪い行いや楽しみは、私はあなたと共有できないということを伝えるのです。それは子どもに、自分自身の行動を改善するために考えることを促します。子ども自身が考えなければ、子どもの問題を共有できません。

怒鳴られたり、脅かされてきた子は、叱られるとよそ見をして、話を聞いてくれないと思うことが続くと思います。しかし、何度でも「本音」で伝えます。怒鳴ったり、脅かしたりせずに伝える大人の真摯な態度は、子どもに伝わります。

そして、そうして自分に本音で向き合う大人の元に、子どもは自分の居場所を見つけていきます。叱ることがあっても、子どもとの関係は損なわれることはありません。

2020年10月27日