いのちを伝え、死から守る(2020年11月25日 父母の会講演)

※11月25日の父母の会でお話しした内容を記しました。文章にするにあたって内容を整えています。


「鬼滅の刃」は幼稚園でも人気があって、年長、年中の子どもを中心に「ごっこ遊び」をしています。ごっこ遊びは、子どもの育ちの力を刺激するとても大切な遊びです。ごっこ遊びには、実に多彩な能力を引き出します。見立ての力、工作などの技能、交渉、スト―リーの創造、役割分担など、大好きなキャラクターになって遊ぶことを深めていく中で、子どもは成長していきます。

この時期の子どもたちは、自分を中心に理解しています。私たちから見ると、「ごっこ」であって、キャラクターを演じているように見えますが、決めポーズをとる自分を子どもたちはキャラクターそのものとして見立てています。ですから、ごっこ遊び中の子どもの名前を呼ぶと、「違う、わたしは○○なの!」と叱られます。子どもたちは自分の見聞きしたことを自分と分けて経験し理解するのではなく、「自分のこと」として理解していきます。

自分とそれ以外を分けるというのは、人間の成長の中では比較的遅く、またゆっくりと進むと言われています。およそ幼児期を過ぎ、小学校1~2年ぐらいから自分と他者を分けていき、「他者の視点」といったものの理解が完成するのは、22~23歳ぐらいとも言われます。中には、人は完全に「他者の視点」を理解することはできないという意見もあります。どうしても自分事に取り込まないと受け入れられないということです。

「鬼滅の刃」は、いわば現代風アレンジの鬼退治で、鬼の首を切ったり、人が殺されたり、家族の死や主要な人物の死が物語の重要なファクターとなっています。公開された映画は「PG12」というレイティングがつけられました。「PG12」というのは、「Parental Guidance 12」の略で、「小学生以下のお子様が視聴する際、保護者の助言・指導が必要」とされています。小学生以下の子どもにとっては不適切な表現が一部含まれていますが、あくまで「助言・指導が必要」であるため、子どもが見てはいけない、というものではありません。

映画倫理機構のサイトには、「この区分の映画で表現される主題又は題材とその取り扱い方は、刺激的で小学生の観覧には不適切な内容も一部含まれている。一般的に幼児・小学校低学年の観覧には不向きで、高学年の場合でも成長過程、知識、成熟度には個人差がみられることから、親又は保護者の助言・指導に期待する区分である」と記されています。

ちなみに、アマゾンのプライムビデオでテレビ放送されたものが視聴できます。しかし、端末に「子どもが使用する」ということで制限をかけるキッズプロフィール設定をすると、表示されなくなります。つまり、アマゾンはこれらの映像を子どもが視聴することを自主的に制限しているということです。キッズプロフィールの対象年齢は概ね12才以下と聞いたことがあります。

「鬼滅の刃」自体は、確かに面白く、ストーリーもキャラクターも子どもたちにとって魅力的です。原作は勿論、映画も含め、作品自体に問題を問うものはないと思います。最も重要なのは、保護者として何を助言・指導するのかということです。しかし、子どもたちにそれを視聴させる際に求められている「保護者の助言・指導」とは何を助言・指導する必要があるのでしょうか。

先日、幾人かの園長と「鬼滅の刃」のような作品を子どもに視聴させるにあたって、私たち教師はどのような助言・指導をしていくべきかということが話題になりました。ある園長は、この映画が「PG12」指定ということで、わざわざ自分自身で映画を視聴しに行かれたそうです。そして、映画館にたくさんの幼い子どもたちが来館していて驚いたそうです。

劇場版の「鬼滅の刃」の「PG12」指定の理由は、戦闘シーンで一部グロテスクな表現もあるからだと思われます。昭和の頃ですが、テレビをつけたまま父親が寝てしまったときに、たまたま深夜枠のグロテスクな映像を見た幼児が、眠れなくなってしまったという出来事が起こりました。幼児期の子どもは、自分の経験と他者の経験を本質的に区別していません。つまり、子どもに「あれは映画で、ウソのことなの。本当はそんな怖いことはないのよ」と伝えても、既に「自分のこととして経験した」子どもには通用しないのです。幼児期の子どもが、睡眠を奪われるということがどれほど成長に悪影響を及ぼすかは、容易に想像できると思います。

映画館でも、テレビとは違う大きなスクリーンと大音量に、鬼滅の刃を楽しみに来館した子どもたちが、大きな声を出したり、「鬼滅の刃キライ!」といって泣いたり、席を蹴ったりと、大変な様子が見られたそうです。ある意味「保護者の助言・指導」には、他のお客さんもいる映画館でのマナーの指導や、子どもが怯えたら直ちに劇場を出るといった判断も含まれるのでしょう。

さらに、「ごっこ遊び」が過激になって他児を傷つけることが無いように注意を与えることも大切でしょう。いわゆる「戦いごっこ」というのは男女を問わず、また特にアニメや特撮に触れなくても、ほぼ全ての子が経験します。ですが、ヒーローやヒロインを視聴した子どもたちに見られるのは、「急所」を狙い始めるということです。「鬼滅の刃」であれば、子どもたちが直ぐに折れてしまうチラシを丸めた刀で、首をねらってきます。あるいは目を狙ってきます。実際に怪我をするようなことは無くても、急所を狙い傷つけることの危険と、その行為が相手を「殺す」という意思表示に他ならないことを、どうやって幼児期の子どもに伝えたらよいのでしょうか。

それと深く関わるのが、最も大事な「生」と「死」をどう伝えるかということです。「鬼滅の刃」は、家族の死からストーリーが始まります。死から生を覗く物語であり、死から生を渇望する物語です。「生」を続ける苦しみがあり、死を選ばざるを得ない苦痛があります。潔く表現された「死」、美しく表現された「死」、残酷な「死」があります。繰り返しますが、幼児期の子どもはそれらの表現されたストーリーを「自分事」として記憶します。知識としては「お話の中のこと」と分かっています。いかに幼児期の子でも「あれはお話なんだから、本当にやったらダメよ」と言えば、子どもはバカにされていると感じるかもしれません。「そんなの当たり前」と思うことでしょう。しかし、全ては彼らにとって自己中心的に蓄積される記憶です。そして、その「自分の記憶」はその後のどんな経験や知識と結びついてどのように子どもたちに影響を与えるかは未知なのです。分からないのです。

今、子どもたちに「皆のいのちはいくつある?」と聞くと、多くの子が「10個!」「100個!」と答えます。そして、いくら払えばいのちが買えるか教えてくれます。お判りでしょうが、私は子どもたち自身の「いのち」を聞いていますが、子どもたちにとってのいのちとはゲームの「ライフ」なのです。虫や動物、そして人間のいのちや死は、子どもたちの中でプレイした「ゲームのライフ」の消費として理解されています。本質的に別のものである「私のいのち」と「ゲームのライフ」が分化されず、「取り戻せない」、「かけがえのない」という概念は育っていないのです。知識では理解しています。しかし、死の多くが病院で起こり、死が日常から遠くなった現代では、子どものいのちと死の理解は想像以上に未熟です。そのような中に、今年、新型コロナウイルス感染症という「死」が近づいてきたのです。

「生」と「死」を伝えることは、一言二言で、また一回二回の助言・指導ですませられるものではないでしょう。何度も、子どもの成長に沿って、子どもの経験に寄り添って伝えなければなりません。その時に、大事なことは、私たち自身も「死」の経験はないということです。私たちは「生」を語ることで「死」を教える他ありません。

是非子どもたちに、保護者の皆さんがお子さんを授かった時の「いのち」の物語を語ってあげてください。唯一の、かけがえのない、「いのち」を授かった時の喜びだけでなく、不安を感じたことでも良いのです。唯一で、何者も代わることのできない「いのち」の重さと大切さ、愛おしさを子どもたちのいのちの物語として伝えてあげてください。

繰り返しますが、子どもたちは聞くこと、見ることを「自分のこと」として、自己中心的に受け止めます。「死」を正しく恐れ、安易な「死」という選択をさせないために必要なのは、子どもたち自身の唯一のいのちの物語です。それを子どもたちに伝え、「自分のこと」として経験させることが、最も大事な助言となります。

以前、子どもにとって曾祖母にあたる方が死の床に疲れた時に、お母さまから幼児を臨終に同席させて良いのか、という質問を受けました。私の考えとして、「必ず、家族の一員として、年齢にかかわらず同席させてあげてください。死を見ることから遠ざけることが子どもを死から守るというものではありません。死から私たちを守るのは、きちんと自分のいのちの尊さを感じている経験です。家族が大切にしている人の死を、家族として見届けた経験は将来、自分のいのちについて考えるきっかけとなり、いのちを尊重する大切な経験になります。そして子ども自身のいのちがどんなにお母さんにとって大切かを、教えてあげてください。絶対に守るからね、と言ってあげてください。お父さんやお母さんは、お子さんを守る時に『絶対に』と言うことをためらわないでください」と答えました。

間もなく、クリスマスが来ます。クリスマスは、救い主であるイエス様がお生まれくださったことを祝う日です。それは誕生の物語ですが、同時に神様が独り子であるイエス様を、私たちの身代わりとして死に渡すためにお与えくださったことを伝えています。私たちにいのちをお与えくださる神様が私たちのために用意し、語りかけ、成し遂げられた、いのちと死の物語です。私たちのいのちがどれほど尊く、かけがえのない、失われてはならないものであるかを、神様がどんなに深く愛してくださっているかを証しする出来事です。

今年は新型コロナウイルス感染症のために、当たり前の日常が崩れ、新しいことへの不安もありました。いのちの脅かされる不安が私たちの日常を覆いました。死が日常に近づいた中でこそ、子どもたちのいのちの始まりを語ってあげて欲しいと思います。「鬼滅の刃」もまた、子どもたち自身にゲームのライフではない、唯一の自分のいのちに思いを向けるきっかけとなればと思います。無理に見せる必要はないでしょう。しかし、子どものいのちの物語を大切にしてくだされば、「死」を表現した映画を恐れることはないのです。

2020年12月02日