愛着と報酬

幼児期の子どもが経験したことのないことに挑戦するためには、「安全基地」が必要だと言われています(ジョン・ボウルビィ イギリス、心理学者)。子どもが保護者に示す親愛の情や、保護者から切り離されまいと執着する感情を「愛着」と言います。このような子どもの愛着を向けられている保護者が「安全基地」となるからこそ、幼児は新しい経験の世界に踏み出し、探検できるのです。そこで幼児期は著しい発達の時となります。

この愛着と心理的な安全基地が発達過程において重要だという考え方に対して、「報酬」という考え方があります。学習と報酬の関係について多くの実験がされています。その結果、人は報酬が約束されていると問題解決能力が低下するという興味深い結果が出ています。つまり「~ができたら~を買ってあげる」とか、「頑張ったら、~に連れて行ってあげる」等の報酬を約束すると、学習効果が下がるということです。これは、最も少ない努力で最も多くの報酬を得るために何でもやるようになるからだと説明されています。

ずいぶん前ですが、園庭の落ち葉を観察することを目論んで子どもたちと集めるゲームをしたことがありました。ゲームですから「勝ち」という報酬が約束されます。「たくさん葉っぱを集めたチームが勝ちね」と。子どもたちはどうしたでしょうか?「勝ち」のルールを理解できなかった子どもたちは「黄色い葉っぱがいっぱいだよ」とか、「大きいのはどっち」といった具合に、地面の葉っぱを集めます。自分のルールで好きなように集めます。そこでは、「これは何の葉っぱ?」という質問も出ました。一方、「勝ち」という報酬を理解した子たちはどうしたのかと言うと、はじめは園庭に散らばる葉を集めていましたが、すぐに手の届く範囲のたくさん葉のついた枝をへし折りはじめました。あっという間に背の低い木は手の届く範囲の枝を折られてしまいました。「たくさん葉っぱを集める」というルールで「勝ち」という報酬を得るために最も楽な方法を選んだのです。報酬を得るためには最適の解です。しかし学習という面ではどうでしょうか。明らかに発展はありません。

報酬を約束する問題点はここにあります。報酬を得るための最短距離を走ってしまうのです。そこから知識や経験を高められるような回り道の課題は取り除かれてしまいます。これはルールへの理解が進めば進むほど顕著になります。報酬が約束されると、自分自身で考え、自分の興味を進み、自分自身で納得するという「自分本位の行動」が制限されるのです。しかし幼児期においてはこの自分本位の行動こそ最重要な経験と知識を与えます。

幼児期の自分本位の行動を支えるのが「安全基地」の存在です。挑戦はしっかりとした「安全基地」を確保しているからこそ可能です。

「安全基地」は、不安になったり、一つの挑戦を終えて充足したときに、自分を迎えてくれる存在です。子どもにとって最も大事な存在です。この存在との「愛着」は、どんな「報酬」にも代えられないことを忘れないでいたいと思います。

2019年02月21日