大人は万能でも完璧でもない

大人が間違ったときに威厳や対面を気にして取り繕ったり、言い訳したりして子どもに謝らないというのは間違いです。子どもにしてみれば、間違いに気づいたら謝りなさいと指示されてきたのに、自分が間違えたときに謝らない大人を尊敬できるでしょうか。矛盾を感じてしまうでしょう。
大人が速やかに誠実かつ潔く誤りを認め謝罪すれば、それを見た子どもも自分の間違を認めて謝ることができる子に育つでしょう。逆に言い訳を重ねて謝罪しない姿を見れば、間違いをごまかす人間に育つでしょう。それは、間違いを認めて修正する自信が育たないということに繋がります。
人間は万能ではないし、完璧な存在ではありません。しかし一方で成長の可能性が常にある存在です。ですから、できないことや間違ったことを認めることができることが、成長において非常に重要な要素となります。
間違いを認めることは悪ではありません。恥でもありません。大人が自分の間違いを認め、子どもに対しても速やかに潔く誠実に謝罪する姿を示すことは、自分をありのままに認める「客観視」を育み、自己を認めることで間違いを修正し、自己肯定感を高めることに繋がります。謝罪は自分に対する自信を育てるものなのです。
現代はあらゆる発言に監視が付き、非難と批判が待ち構えています。正しい謝罪というスキルは、これからの時代に必須の自己防衛手段でもあると思います。誤魔化すことで小さな間違いを取り返しのつかない過失へと広げ、さらに言い訳を重ねた稚拙な謝罪が企業や個人に大ダメージを与える様は本当に残念なことです。
大人が万能である必要はありません。完璧を装う必要もありません。それはむしろ成長する子どもにとっては、有害なことです。大人とは万能で完璧であることではありません。大人が万能を装い、完璧を演じることを子どもは利用しますが、尊敬することはありません。自己を信じ、嘘や見栄えのいい話に頼ることなく、正直に道を切り開くことのできる「器」や「品格」が子どもに憧れの大人を感じさせるのです。

2019年04月12日