園長の思い

園長 有馬尊義のブログです。

ブログ一覧

感覚の優先傾向を知る

子どもから「~って何?」と聞かれて、答えに困ったという話をよく聞きます。分からないというより、どう説明すればいいのか困ってしまうということがあります。
先生としては、せっかく子どもが興味をもって聞いてきたので、正確に伝えようと頑張ります。その時に、ニュアンスで伝わる子と、厳密に正確な言葉の説明を求める子がいます。あるいは、答えを考えているうちに他に興味が移って質問を忘れてしまう子や、童話のような物語で説明されることを好む子もいます。
これは、「どんな感覚を優先的に認識しているか」という傾向と関係しています。
聴覚の感覚を優先する傾向があると、説明を「読む」よりも「聞く」を好みます。言語感覚が鋭敏ですと、新しいことと「意味」が結びつくことが重要になります。触覚が優先される傾向があると、手を動かすなどの動きがあると説明が理解しやすくなります。視覚を優先する傾向があると、書面や絵や図があると理解の際に大きな助けになります。これらは必ずしも一つの感覚が突出していたり、他の感覚が弱いというものではありません。あくまで、傾向があるというものです。
自分のことで恐縮ですが、私は視覚が優先される傾向にあるようで、理解の際には特に「書面」を視ることが大事です。必ずしも紙をめくる感触を必要とはしません。最近、電子書籍の優れた「読み上げ」機能を使ってみたのですが、どうしても集中できず内容が十分に理解できませんでした。聞くだけですと理解が困難になるようです。しかし、これが講演ですと、資料の書面がなくても講師を視て話しを聞くと理解できます。
自分や子どもの感覚の優先傾向を知ると、少し客観的に子どもとの距離を保って関わることがしやすくなるのではないかと思います。これはもちろん、大人同士の間でも同じです。一緒に仕事をしていて、「何でこの人とうまくいかないのだろう」というような時に、それは互いの悪意からではなくて、感覚の優先傾向がすれ違っているからかもしれません。ちょっと工夫するだけでコミュニケーションの結果はずいぶん変わるものなのです。

2019年08月02日

待つことを教える大切さ

子どもと過ごして特に多く使う言葉は「急いで」、「早く」ではないでしょうか。仕度が遅い子や、なかなか遊びを終えられずにいる子に、幼稚園の先生も「もうお友だちはお部屋にいるよ」、「みんな待ってるんだよ」と言って急かします。
周りの状況を把握して、行動を切り替えるようになることは大事な成長です。ただ今回は、待たせる子ではなく、こういった場面ではもう一方に「待っている子」がいることを考えてみたいと思います。
普通ですと、みんな揃って行動をするときに待たせてしまう子は、先述のように急かされたり、あるいは遅れたことを叱られたり、待っている皆に「ごめんなさい」と謝らせる等の対応があるでしょう。しかし、視点を「待っている子」に向けると別の事柄が見えてきます。それは、「待つことを教える」ということの大切さです。
待つことができるということは、人間の器の問題です。これは実は教育の最大課題へのアプローチではないでしょうか。
遅れてくる人にイライラして、遅れてくる人にずっと心を奪われていて、その人が到着するなり「何やってんだ!」と怒鳴る人。
誰かが遅れていても、心を奪われずに過ごし、「大丈夫、待っている間に~ができたよ」とさらっといえる人。
どちらに人間的な魅力があるでしょうか。どちらの人間と一緒にいたいと感じるでしょうか。待つことができる人とは、寛大な心をもって赦す人です。人望や魅力といった言葉であらわされる心の器を育てる方が、教育の課題として優先順位が高いのではないでしょうか。
どうせ待つなら、歌でも歌って待とうか?お話しを一つしましょうか?そんな風に「待てる人に育てる」ということは素敵なことではないかと思います。
考えてみれば、私たちはこれまで皆、迷惑を掛けたら謝るという教育だけを受けてきたように思います。しかし、私たちは誰でも迷惑をかけずに生きることはできません。待たせる子も、その子なりのベストを尽くして生きています。それならば、迷惑をかけられてもそれを受け止める器を育て、相手の事情に心を寄せることができる方が、ストレスなく健康的な生き方に繋がります。
「待つ」ということは我慢することではなく、「赦す」ことなのです。

2019年07月31日

頼る力

自分にはできないことを自覚して、「助けて」、「手伝って」と人に頼ることができるというのも、大事な生きる力です。一人でできることには限界があり、得意もあれば不得意もあるのは、子どもも大人も同じです。
幼稚園には、何でもやってもらおうと依存してしまう子もいます。それが甘えなのか、依存なのか、それとも何をすべきか理解できていないのか、子どもたちの成長の様子は様々なので一括りに「良くない」とは言えません。しかし、人に頼ることができない子は心配になります。
これからの時代は、さらに人に上手に頼ることが「力」として問われると考えています。会社で社長だけが頑張っていても、チームのリーダーだけで仕事をしても、すぐに限界がきて、つぶれてしまいます。集まった人々が自分の役割を得て、得意な力を出し合って組織は最大の力を発揮します。助け、助けられる。それが成熟した社会ではないでしょうか。
「手伝ってほしい」、「助けてほしい」と言える「力」は、自分自身を把握する力であるのと同時に、他者を尊敬尊重する力でもあります。他者を貶めることは、動物でもできます。しかし、他者の才能を認め、尊敬し、尊重するところまで想いを高めることができるのが人間です。もちろん、人にものを頼めるのは自分のすべきことを精一杯やっているからです。何もせずに頼るのは驕った依存です。これは子どもであっても戒めなければならないことです。
子どもは向上心が豊かです。自分の能力を最大限に発揮することに喜びを感じます。そんな子どもたちに「~が得意なんだね」、「~はお任せしていいかな?」、「お願いするね」というように、持っているものを認め合えるような言葉をかけることで、子どもの自尊心は育ちます。それと共に、「何か手伝えることはある?」と聞く言葉も大事です。それを通して「ここを手伝ってほしい」と伝えられるようになります。自分自身への理解と、他者を信頼できる存在として受け止めることの両方で、頼る力が育ちます。

2019年07月30日

やらない子

子どもはとてもプライドの高い存在です。このことは、子どもと一緒に生きる上で大事な前提だと私は考えています。「子どもだから、いいだろう」、「子どもだから、明日には忘れてるよ」と思うのは間違いです。子どものプライドにかかわることは、余程のことがないと子どもの意識の中から取り除けられることはありません。いわゆる「トラウマ」となるのです。
幼稚園でパズルで遊んでいる子を必ず邪魔をする子がいました。その子に「一緒にやらない」、「やってみる?」と誘っても「やらない」といって逃げてしまします。しかし、しばらくするとまたやってきて、組み上げられたパズルをわざと崩したり、ピースを取って持って行ってしまうといった邪魔をします。
なぜ、そんなことをするのかというと、その子はパズルに興味はありますが、パズルをやる自信がないのです。だから他の子がしているのを邪魔するのです。
子どもは、できないことを恐れます。挑戦してできるかどうかわからないものには、なかなか取り組めません。新しいものになると、失敗するのが怖いのです。
失敗してもいい、という経験をさせたいと教師は願いますから、何度も積極的に誘います。しかし、どうしてもやらないという時には、その子のできそうな他の遊びに誘います。
その時パズルに興味を示していても、プライドが邪魔をすることがあります。そのような時には、無理強いせずに、別のやりたいことを探してあげる方がよいです。
「レディネス」という概念があります。子どもは自分自身の育ちの中で、準備ができたときに必要なものに取り組んで自分自身を育てていくという考えにつながる概念です。興味を抱いても、手の届かない時、手の出せない時はレディネスが整っていないのです。だからといって放っておいては、レディネスの整った他の挑戦の機会を逃してしまうかもしれません。レディネスの整わないところから子どもの興味を別に向ける手助けをするのも大事なこと務めです。

2019年07月25日

「褒める」と「おだてる」は違います

大人は子どもを褒めるのが好きです。「すごいね!」、「上手だね!」、「天才!」と大げさに褒めたくなります。
ただし、子どもが夢中になっている時に褒めるのは、子どもにとって集中を妨げる邪魔になってしまうことは以前記しました。もう一つ、子どもを褒めるときに心したいのは、「大げさにやり過ぎない」ということです。
褒められることは子どもにとってうれしいことです。しかし、大げさに褒められると、その後の遊びへの集中力が削がれてしまいます。
幼稚園で子どもたちは鉄棒で遊びます。「ぶたのまるやき」、「前回り」、「逆上がり」等、褒めてもらいたくて「見て!」と先生を呼びます。見せてもらった先生も「できるようになったんだね」、「いっぱい練習したものね」と先生たちも褒めます。しかしその時に思わず「大げさに褒めて」しまうことがあります。大げさに褒められた子はうれしいですから、続けて鉄棒に挑戦します。しかし、褒められた後の挑戦が、一番怪我をしやすいのです。なぜなら、鉄棒を成功させることよりも、「もっと褒めてほしい」ことに心が向いてしまい、集中できなくなるからです。そして、痛い目を見たことに挑戦するのは、心が折れてしまってできなくなります。
子どもたちが「見て」といって誘ってくれるものは、子どもにとって「ついにできた」という自慢の技です。鼻歌交じりにできることではなくて、集中して力を発揮してようやく成功したものです。それを今後繰り返してより上手にできるようになります。その時に「褒められたいからやる」というのは邪魔な意識です。子どもにとって自分から欲して、「やりたいからやる」という経験こそがもっとも重要な育ちの機会です。
褒めるというのは、おだてることとは決定的に違います。芸を成功させたイルカにご褒美をやるのとは全く違うことです。大人が子どもを褒めるというのは、「できた」という達成感そのものを喜びとして感じられるようにするためのものです。ですから、褒めるというのは子どもを興奮させるために伝えるのではなく、短い言葉で、達成を次の挑戦のための基礎とするように安心させることを意識する方が大事なのです。

2019年07月23日
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