園長の思い

園長 有馬尊義のブログです。

ブログ一覧

ようちえんすごろく

ようちえんがはじまるまで、もうすこしです。
ようちえんすごろくをつくりました。おうちのひとといっしょにやってみてください。
げんきなみんなを、おむかえできるのをたのしみにしています。
ようちえんすごろく(PDF形式 988KB)

2020年05月19日

「9月入学」の話題

いきなり出てきた「9月入学」の提案について、思うところがあったので記します。感情的なところはおゆるしください。あまりにも無責任な提案だと感じ、正直腹を立てました。
まず、新型コロナウイルス感染症がなければ、私は9月入学への移行について賛成です。ただし、今は新型コロナウイルス感染症との戦いの真っ最中です。
9月入学について、「コロナとは別問題」という考えに批判的な声を聴きますが、実際、別問題だと思います。今は無用な議論だと考えています。
9月入学ということは、これまでも意見を聞きながらそれでも実現できませんでした。9月入学という改革は、この状況の中で事実上3か月以内で可能な程度の「簡単な」取り組みなのでしょうか?大学受験改革すら満足に実行できなかった程度の人的資源と調整力しかない政府と役所で、本当に学生、学校、社会を「今後も」支え得るシステムが構築できるのですか。「やってみたけどダメでした」では済まない課題です。やるならば絶対に成功させなければならない改革です。
9月入学を今の学生たちのための救済策とすることは不可能です。そもそも9月にコロナウイルスの脅威は収束するのでしょうか。
こんなに医療も教育も保育も福祉も役所も会社も家庭も疲弊している中で、本気で9月入学の実務を担える人間がまだ、「いる」と思っているならおめでたいことです。AIにでもやらせますか?そのAIの開発は誰がするのでしょう?提案されたことを吟味するだけで浪費される時間と資源があり、実現のためにドミノ倒しに下部に位置する立場の人間を圧迫することを想像しておられるのでしょうか。
意見される方々は、自分は実務をやらないから何でも言えるのでしょう。一日この議論に政府を釘づけにして、数少ない役人を拘束することで、現在のこの国で何人が生きる術を失い、死を選ばざるを得なくなるか考えたうえで提案されたことなのですか?
現在の状況で緊急支援の一つも速やかに決められない、未だにPCR検査もろくに増やせない、国産治療薬の治験も満足に揃えられない、みえみえのごまかし答弁しかできない、そんな能力の足りない政府と役所を、この薄っぺらな提案と議論で1分たりとも拘束すべきではありません。ただでさえ少ない有益なキャパシティがさらに無くなります。その結果苦しむのは国民であり、学生です。それでも私たちが選んだ政府なのですから。敵前逃亡させずに上手に使い潰さないといけません。
コロナ収束後に9月入学賛成の方は「忘れずに」大きな声を出していくらでも働きかけてください。収束後に継続して速やかに動くべき議論であって、現在議論すべき話題ではありません。これに現在予算を割くべきではありません。
災害クラスの危機の中で大事なことは、「元の状態に戻す」ことです。「これを機会に新しい~」ということを言い始める方がいますが、新しいことというのは一体どのようなものなのか、何を準備すればいいのか、実は誰も知らないのです。各方面の共通理解を得ることができず、理解を得ることに時間を費やして肝心の助けるべき人々を放置してしまします。しかし、元に戻すということは、もともと知っている形に戻せばいいので共通理解の下で各分野が力を発揮しやすくなります。既に一度構築されたものを再現するので、ノウハウもあります。結果として早く回復します。回復した後で、災害の危機の中で新たに上がった問題点や課題を実現するために改善をするものです。この時期に新しいことを始めろというのは、東日本大震災やその後の災害を経験してきた日本のインテリジェンスあるはずの人々の発言とは思えません。
もっと喫緊の救済策をどんどん学生を救うために広く、分厚く、お金をかけてすべきです。「あなたがたの将来に、決して不利益を与えない!失われた世代には決してしない!」という断固としたメッセージと共に。

2020年04月30日

命を与えた言葉

園長は西荻教会というキリスト教会の牧師でもあります。教会で毎月送っているお手紙を転載します。

主イエス・キリストにあってご挨拶いたします。新型コロナウイルス感染症のために教会も礼拝以外の活動をお休みしています。一日も早い収束を願っています。皆様に神さまのお守りが豊かにありますようお祈りします。
東日本大震災から9年目を迎えました。今も多くの方が困難な状況にあり、さらに昨年の台風で再び被災された方も多くおられます。今年も、被災された方を取材した記者の記事をご紹介したいと思います。萩尾信也さん(「生と死の記録―続・三陸物語」毎日新聞社)が伝えてくれた話です。
「津波で74歳のおばあちゃんを亡くした家族にも会いました。
震災が起こった時、家にはおばあちゃんとおじいちゃんとその次女、それから長女の娘がいました。長女の娘には障がいがありました。長女は保育園に勤めに出ていて留守でした。
大きな揺れが来て、家族は高台へ逃げようとします。おじいちゃんは家の前に車をつけました。エンジンをかけて待っています。次女は、長女の娘がパニックを起こさないように手を引いて一歩一歩誘導しました。おばあちゃんは携帯電話を探していたそうで、なかなか家から出てきません。やっと玄関から出てきた時、津波が後ろから防潮堤を乗り越えてやってきました。おばあちゃんはそれに気付きました。そして叫びました。『行げー! おらのことはいいがら振り向かねえで行げー!』
おじいちゃんはその瞬間にアクセルを踏みました。急発進した車は高台に走りました。後ろから聞こえたそうです。『生ぎろよー! ばんざーい! ばんざーい!』
それから数日後、長女は避難した3人と再会しました。しかしそれからずっと彼女は苦しみ続けます。『どうしてお母さんを置いて逃げたのか』という父と妹に対する怒り。『自分の娘に障がいがなかったらお母さんは助かったんじゃないか』という気持ち。それでずっと心が揺れ続けるのです。彼女は、亡くなった母親の後を追って死にたいとまで考えました。しかし、そう思った彼女を踏みとどまらせたのは、母親の最後の叫び声でした。お母さんは、自分の命を投げ出しても家族に『生ぎろよ』と言い、車に乗っていた3人に『行げ!』と言った。その言葉の先には自分がいたのではないか、と。時間とともに彼女の気持ちはそのように変化していきました。」
「地上にあるもので永遠なものは一つもない」「形あるものは必ず壊れる」「人は生きて死ぬ」、この三つは事実です。この事実の前で、自分自身を生かす言葉を持っているでしょうか。

2020年04月21日

幼稚園開園と自由登園について

幼稚園開園と自由登園について

西荻学園幼稚園では、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、2月6日の始業式から無期限でお弁当なしの午前保育として幼稚園を開園します。この期間を自由登園期間としました。

この期間の設定に関して、園長の考えを箇条書きにしますので参考になさってください。

◆消毒と教職員のマスク着用等を徹底しますが、開園中の幼稚園が絶対に感染しない空間であることを保障することはできません。また、感染した幼児が重症化しないという根拠はありません。
◆それゆえに、感染防止には濃厚接触を避けることが最も重要であることに変わりはありません。感染防止の観点から、ご家庭の状況に応じて可能な限り園児の登園を自粛していただくことが望ましいと考えています。
◆一方で、子どもたちの休園中のストレスと保護者のご負担を鑑みると、それらの対処として不特定多数の人間が出入りする公園や屋内施設へ赴くより、登園前の体温計測などを徹底していただくことで出入りする人間を制限でき、在園児とって慣れている幼稚園園庭の方が子どもたちにとってより自由にかつ安心できる空間であると考えました。
◆新入園児について、入園式を行うことで子どもたちの日常に新しい生活のスタートを持たせ、幼稚園の仲間としての所属を得ることは大事なことです。今後、感染症の収束が見込まれない状況で、登園されるがどうかは保護者のお考えに寄りますが、登園可能な形で門を開いておくことが重要と考えました。
◆今後も長期にわたって感染症への対応を覚悟しなければならないようです。その中で、ご家庭の事情により、どうしてもお子さまを預けなければならない保護者のご負担を減らす努力をすべきと考えました。
◆上記に合わせて、長期にわたって感染症への対応に子どもたちも引き続き向かい合わなければなりません。幼稚園が開園していることで、わずかでも子どもたちのストレスを軽減し、教師たちやお友達と出会う「あたりまえの日常」を過ごすことができる機会を完全に閉ざすことは望ましくないと考えました。
◆一週間の登園日数を減らしたり、室内活動だけとなる雨天の際などはお休みなさるという判断も重要であると考えます。
◆既往症をもつお子様や保護者の方は、登園を自粛なさることが望ましいと考えています。朝の園庭での外遊びのみで早退なさるという判断も大事です。
◆今後の感染状況等に応じ、自治体の要請等により再び休園となる可能性がありますが、それまでは、幼稚園を開園したいと考えています。
◆園児や教職員が感染した場合には、速やかに臨時休園とします。

西荻学園幼稚園
園長 有馬尊義

2020年04月03日

子どものつまずきと気遣い

幼いころに妹と遊んだタクシーごっこの記憶があります。当時中野区に住んでいて、タクシー運転手役の私が、「上野動物園ですか?中野動物園ですか?」と聞くと、お客さんの妹が「下の動物園でお願いします」と答えました。それを聞いていた母親が笑い出したのを覚えています。
これは小学生を対象に調べたデータですが、子どもたちは学習の際に、大人から見ると馬鹿馬鹿しいレベルでつまずいています。ある本で「国道って、道のこと?」と聞いている子を見て唖然としたと書いていました。考えてみると、普段子どもは国道という言葉を使いません。「国の道と書いているからわかるだろう」と思われるかもしれませんが、知らない子どもにとっては「北海道」のような地名のように思えるかもしれません。
小学生を調べると、子どもたちはこの程度のことでつまずいてしまうことが過半数であることが分かっています。これは、「ここを見ればわかる」と指し示すだけで解決します。ところが、それができないということが問題です。自由に「国道って、道のこと?」と発言したら、「空気の読めない子」と疑われます。子どもたちは教師の評価はさほど気にしませんが、「空気の読めない子」と同級生に思われることを恐れます。そのため、つまずいた子はそのことを隠して、学習を放棄します。授業開始5分で過半数の子が学習を放棄している可能性があります。これは大変な損失です。
一方で、最近の子どもたちの学習環境は、「教師からしか学べない」というものではありません。塾、予備校、通信教材、スマホアプリが沢山あります。また、保護者が高学歴になり、家庭学習も熱心です。魅力的な教材や学習環境の下で、どんどんと知識を豊かにしています。
その結果、クラスの何割かの子どもたちは、授業を受ける前に学習済みという状況が生まれます。そういった子は、授業を通して教師が何を言わせたいか、何をさせたいかを前もって分かっています。そして、心優しい子たちはそれを授業の最初に言うと先生が困ってしまうから、分からないふりをして、無駄な時間に付き合ってくれるのです。教師の方が気遣われているのです。
「教育は経済ではない」と言われるのも分かります。確かに自分たちの将来の金銭的投資として子どもの教育を語るのは行き過ぎでしょう。しかし子どもたちの「時間」の損失を、大人はどう考えているでしょうか。「若いからまだまだ大丈夫」、という感性の根拠は何に基づいているのでしょうか。そこを考え最善を探るのが教育者の経済感覚です。私たちは永遠の存在ではありません。時間は、世界中の富と引き換えにしても、1秒たりとも取り返せないのです。

2020年03月26日
» 続きを読む