命を与えた言葉

園長は西荻教会というキリスト教会の牧師でもあります。教会で毎月送っているお手紙を転載します。

主イエス・キリストにあってご挨拶いたします。新型コロナウイルス感染症のために教会も礼拝以外の活動をお休みしています。一日も早い収束を願っています。皆様に神さまのお守りが豊かにありますようお祈りします。
東日本大震災から9年目を迎えました。今も多くの方が困難な状況にあり、さらに昨年の台風で再び被災された方も多くおられます。今年も、被災された方を取材した記者の記事をご紹介したいと思います。萩尾信也さん(「生と死の記録―続・三陸物語」毎日新聞社)が伝えてくれた話です。
「津波で74歳のおばあちゃんを亡くした家族にも会いました。
震災が起こった時、家にはおばあちゃんとおじいちゃんとその次女、それから長女の娘がいました。長女の娘には障がいがありました。長女は保育園に勤めに出ていて留守でした。
大きな揺れが来て、家族は高台へ逃げようとします。おじいちゃんは家の前に車をつけました。エンジンをかけて待っています。次女は、長女の娘がパニックを起こさないように手を引いて一歩一歩誘導しました。おばあちゃんは携帯電話を探していたそうで、なかなか家から出てきません。やっと玄関から出てきた時、津波が後ろから防潮堤を乗り越えてやってきました。おばあちゃんはそれに気付きました。そして叫びました。『行げー! おらのことはいいがら振り向かねえで行げー!』
おじいちゃんはその瞬間にアクセルを踏みました。急発進した車は高台に走りました。後ろから聞こえたそうです。『生ぎろよー! ばんざーい! ばんざーい!』
それから数日後、長女は避難した3人と再会しました。しかしそれからずっと彼女は苦しみ続けます。『どうしてお母さんを置いて逃げたのか』という父と妹に対する怒り。『自分の娘に障がいがなかったらお母さんは助かったんじゃないか』という気持ち。それでずっと心が揺れ続けるのです。彼女は、亡くなった母親の後を追って死にたいとまで考えました。しかし、そう思った彼女を踏みとどまらせたのは、母親の最後の叫び声でした。お母さんは、自分の命を投げ出しても家族に『生ぎろよ』と言い、車に乗っていた3人に『行げ!』と言った。その言葉の先には自分がいたのではないか、と。時間とともに彼女の気持ちはそのように変化していきました。」
「地上にあるもので永遠なものは一つもない」「形あるものは必ず壊れる」「人は生きて死ぬ」、この三つは事実です。この事実の前で、自分自身を生かす言葉を持っているでしょうか。

2020年04月21日