家庭でルールを考えてみましょう⑦

いつも子どもの近くで「何か危険なことはないか」、「間違いがないか」と見張っている親のことを、「ヘリコプター・ペアレンツ」と呼ぶそうです。子どもが乳児期にはこのような親の見守りが極めて重要です。

しかし、幼児期、少年期、青年期と成長し、体力も活動範囲も交遊も広がっていく子どもを常に見張り続けておくことは現実問題として無理でしょう。特に年齢が上がれば、親に対しても隠しておきたいことが出てくるのは当然のことです。親子だからと身も心も裸で隠し事なしにいましょうというのは現実的ではありません。いつまでもそのような関係を子どもに求めるのは、親の方に幼児性が残っているということです。必ず隠し事はあります。これは善悪で計るべきことではありません。人に見せない自分自身を持つことは人として当然のことです。

子どもの活動範囲が広がり、親の知らない交友や活動を経験するようになると、場合によっては法律的、道徳的、倫理的に問題あることに出くわすことがあります。その時に、子ども自身がルールを犯すことに健全な「嫌悪感」、「罪悪感」を持っていることが、最終的に子ども自身を守る防波堤となります。引き返せないところに足を踏み込むのを止める心を持つことができます。過ちを正直に話せる環境で育ったのであれば、直ちに躊躇うことなく親に助けを求めることができます。ルールを家族と一緒に決め、過ちを話し合って正し、ルールを守ってきたそれまでの達成感と自負心とが、親の目を離れたところで過ごす機会の増える子どもを危険から守ります。SNS等を通して、親の世代には経験のない交友や悩みを持つことになる子どもたちにとって、このことはこれからの時代に取り分け重要なことになるはずです。

一旦ルールが定着すると叱る機会は減るはずです。叱る機会が減るということは、親の負担がずっと楽になるということです。親に余裕が生まれ、結果的に快適な親子の関係を保つことが容易になります。

親が子どもを心配するのは当然のことで、「親ばか」と言われるくらい何でもやってあげたいと思うくらいがいいと思います。しかし、子どもの人生を監視し続けることはできないのです。干渉しすぎることは子どもの健全な自立を妨げるのも事実です。子どもが困るたびに先回りして助け、親やってもらうことが当たり前になると、毅然として子どもの間違った要求をはねのけられません。実は家庭のルールは守る側だけでなく、守らせる側をも育てます。子どもの成長にふさわしい親へと育っていくのです。

反抗期に「ルール」を与えられても子どもは受け入れられないでしょう。そのころになってこれまで何でもやってくれた「召使い」が「親」になって自分の要求を受け入れないと言い出せば、子どもは激しく抵抗するか、面倒なって無視するかのどちらかです。「ルールを持つ」、「ルールは守る」、「ルールを作る」という環境で幼い時から家族と共に過ごすことはとても大切です。

2019年02月01日